日本キリスト教団 新松戸教会

福音、それはよき訪れ。あなたの人生を豊かにする驚くべき恵みの力です。

あなたもこの恵みを体験しませんか

Youtube Live礼拝

2022年08月28日 10:10~配信予定

説教の中から

2022年08月21日 10:10~配信予定

説教の中から

2022年08月14日 10:10~配信予定

説教の中から

2022年08月07日 10:10~配信予定

説教の中から

2022年07月31日 10:10~配信予定

説教の中から

2022年07月24日 10:10~配信予定

説教の中から

2022年07月17日 10:10~配信予定

説教の中から

2022年07月10日 10:10~配信予定

説教の中から

『困難にチャレンジする』

2022年07月03日 津村友昭牧師

説教の中から

イスラエルの新しい出発は捕囚からの新しい出発です。彼らはその苦しみの中でどうしてこうなったかを回顧したのです。それは神の恵になれ神の心から離れた事を知り、今日歩みとして旧約聖書を編纂したのです。み言葉を生活の中心に据え、生活するように変えられたのです。しかし、あまりにも厳格に律法を制定してしまったのです。人間は熱心・不熱心の両方で罪を犯しやすいのです。イザヤの慰めのみ言葉を聞いてへりくだるものとされましょう。

イザヤ書40章27-31節

27) ヤコブよ、なぜ言うのか/イスラエルよ、なぜ断言するのか/わたしの道は主に隠されている、と/わたしの裁きは神に忘れられた、と。

28) あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神/地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく/その英知は究めがたい。

29) 疲れた者に力を与え/勢いを失っている者に大きな力を与えられる。

30) 若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが

31) 主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。

『天からの力くる』

2022年06月26日 津村一志牧師

説教の中から

主は弟子たちに聖霊を受けてから世界宣教に行くように命じられました。聖霊の力と導きなくしては、宣教は出来ないからです。人生には多くの困難と悩みがありますが、聖霊様を意識して歩むとき、今日も生きて働く神様をありありと体験できるのであります。

使徒言行録1章6-11節

6) さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。

7) イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。

8) あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

9) こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。

10) イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、

11) 言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

『主イエスとの対話』

2022年06月19日 津村悦子牧師

説教の中から

宗教は科学と表裏一体をなしています。キリスト教は非科学的なものではなく、又抽象的な真理でもなく、きわめて具体的な、又神秘的なものと言えます。聖霊に触れた人は、この事がよくわかります。福音では、イエス・キリストが一番大切にしていたのは、奇跡(癒し)とメッセージと復活を語っていました。今朝のメッセージは三人の盲人の祈りを聞きましょう。

ヨハネによる福音書9章1-18節

1) さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。

2) 弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」

3) イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。

4) わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。

5) わたしは、世にいる間、世の光である。」

6) こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。

7) そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。

8) 近所の人々や、彼が物乞いをしていたのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。

9) 「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。

10) そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、

11) 彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」

12) 人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と言った。

13) 人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。

14) イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。

15) そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」

16) ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。

17) そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。

18) それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、

『心が内に燃える』

2022年06月12日 津村友昭牧師

説教の中から

「キリストのことばをあなたがたの内に豊かに宿らせなさい(コロサイ3:16)」とあります。私たちが主を愛していれば主の救いの力を世界に伝えずにはいられません。それは聖霊によって心が燃やされているからです。そして、キリストの愛が私たちを取り囲んでいます。

ルカによる福音書24章13-25節

13) ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、

14) この一切の出来事について話し合っていた。

15) 話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。

16) しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。

17) イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。

18) その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」

19) イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。

20) それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。

21) わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。

22) ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、

23) 遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。

24) 仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」

25) そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、

『パウロのように』

2022年06月05日 鈴木みどり牧師

説教の中から

私たちの新松戸教会も45年前の6月5日のペンテコステから4人の家族と三重の地で導かれた神学生で始まりました。教団の教会は各教会が自立していますので生活も教会の働きも自前でしつつ、集められた方々と第一、第二会堂と駐車場が供えられたことに感謝です。この記念すべき日に鈴木みどり牧師をお迎えして、午後より祝会のバーベキューで交わりの時を感謝します。

使徒言行録16章6-10節

6) さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。

7) ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。

8) それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った。

9) その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。

10) パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。

『バベルの塔とペンテコステ』

2022年05月29日 津村友昭牧師

説教の中から

ペンテコステはバベルの塔の反対です。バベルの人たちは素晴らしい塔を造れば町が有名になり、自分たちの力と評判が自らを救うと考えました。バベルの人々が求めた一致と統一をイエス・キリストの中に見る事が出来ます。ペンテコステにおいて、言葉の一致が回復されたのです。

創世記11章1-9節

1) 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。

2) 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。

3) 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。

4) 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。

5) 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、

6) 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。

7) 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」

8) 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。

9) こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

使徒言行録2章5-13節

5) さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、

6) この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。

7) 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。

8) どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。

9) わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、

10) フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、

11) ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

12) 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。

13) しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。

『待ちなさい!』

2022年05月22日 津村一志牧師

説教の中から

復活した主イエスはご自分が生きていることを数多くの証拠をもって弟子たちに現れてくださいました。それだけではありません。エルサレムに戻って約束されたものを待ちなさいと指示したのです。
 『聖霊降臨!!』 それこそ、主イエスが十字架にかかる前から強調していたことでした。私たちも弟子たちのようにみことばと聖霊に満たされて勝利あるクリスチャンとなっていきたいものです。

使徒言行録1章3-5節

3) イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。

4) そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。

5) ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」

『命のパンを食べる人』

2022年05月15日 津村悦子牧師

説教の中から

ユダヤ人の人は主イエス・キリストが「わたしは天から下ってきたパンである」という言葉に主についてつぶやいた。わたし(主)が来なければ人々を終わりの日に蘇らせることが出来ないと。くちないパンとは霊的なパンの事です。ここで肉と霊の対立が描かれています。→これは聖餐式に繋がります。

ヨハネによる福音書6章41-58節

41) ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、

42) こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」

43) イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。

44) わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。

45) 預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。

46) 父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。

47) はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。

48) わたしは命のパンである。

49) あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。

50) しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。

51) わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

52) それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。

53) イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。

54) わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。

55) わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。

56) わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。

57) 生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。

58) これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

『新しい力を得る』

2022年05月08日 津村友昭牧師

説教の中から

ある神学者は、イースター礼拝で「私たちはどんなときにも、どんなところでも、誰に対しても希望を持ち続ける事が出来る。それはイエス様がよみがえられたからだ」と言いました。希望こそ新しい力の源です。

イエスは不安の中でおびえている弟子たちのところに来られ、「もう一度あなた方に平和があるように」言われ、息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と言われました。再創造されたのです。

創世記2章1-9節

1) 天地万物は完成された。

2) 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。

3) この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。

4) これが天地創造の由来である。主なる神が地と天を造られたとき、

5) 地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。

6) しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。

7) 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

8) 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。

9) 主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。

ヨハネによる福音書20章19-25節

19) その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

20) そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。

21) イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」

22) そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。

23) だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

『新しい出発』

2022年05月01日 津村友昭牧師

説教の中から

キリスト教はイエスの復活より始まります。死が終わりでなく新しい出発です。イエスが十字架にかかった後、弟子たちはイエスが死んでしまったので再び漁師をしおり、そこへ何者かが近づいて来ました。何か獲れたか問われ「何もありません」と答えると「船の右側に網を打ちなさい」と言われ信じて網を打つとあまりにも多く獲れ、主(イエス)だとわかりペテロは海に飛び込みました。獲れた魚は153匹でした。

ヨハネによる福音書21章1-14節

1) その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。

2) シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。

3) シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。

4) 既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。

5) イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。

6) イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。

7) イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。

8) ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。

9) さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。

10) イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。

11) シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。

12) イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。

13) イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。

14) イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。

『あなたも勝利者になれる』

2022年04月24日 津村友昭牧師

説教の中から

主イエスは十字架上で七つの言葉をお残しになられた。「七」は安全数で全部ということでもある。すべてが「成し遂げられた」という言葉によって他のみ言葉は光が輝いている。口語訳では大声で「すべてが終わった」と言われている。すべてが完了したのである。イエスは神の愛の啓示、悪魔の克服、人間の解放という三つの事が一度になされたのである。まさに勝利の宣言である。イエスにつらなる事によって、私たちも勝利者となるのである。

ヨハネによる福音書19章29-30節

29) そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。

30) イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。

マルコによる福音書16章1-11節

1) 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。

2) そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。

3) 彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。

4) ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。

5) 墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。

6) 若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。

7) さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」

8) 婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

9) 〔イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。

10) マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。

11) しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった。

『イエス・キリスト復活の証拠』

2022年04月17日 津村一志牧師

説教の中から

約2000年前、クリスチャンが宣べ伝えてきたメッセージの中心は、キリストの復活です。この信仰があったからこそ、多くの人々が生命を捨ててでも、イエス・キリストに従っていく人々が起こされてきました。しかし、キリストの復活の話を聞く前に「信じる人」と「信じない人」がいます。「復活」はたしかに人間の理解を超えた出来事なのでどこまでも信仰の問題になりますが、信じる助けとなるために「証拠」として考えられるものを探りたいと思います。

ルカによる福音書24章1-12節

1) そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。

2) 見ると、石が墓のわきに転がしてあり、

3) 中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。

4) そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。

5) 婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。

6) あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。

7) 人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」

8) そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。

9) そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。

10) それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、

11) 使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。

12) しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。

『起きよ、あなたは変る』

2022年04月10日 津村悦子牧師

説教の中から

エルサレム神殿の北東に、ベテスダの池があり、多くの病人が癒しを求めて横たわっていた。病人たちは、間欠泉であるその水が動くのを待っていた。38年間も癒しを待ち続けた彼に、サマリアの貴妃の時のように主の方から語りかけた。「治りたいのか」と彼の心中を知りながらも・・・・・・。奇跡は神の絶対なる力と愛からくると言われている。

ヨハネによる福音書5章1-19節

5) さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。

6) イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。

7) 病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」

8) イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」

9) すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。

10) そこで、ユダヤ人たちは病気をいやしていただいた人に言った。「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。」

11) しかし、その人は、「わたしをいやしてくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と答えた。

12) 彼らは、「お前に『床を担いで歩きなさい』と言ったのはだれだ」と尋ねた。

13) しかし、病気をいやしていただいた人は、それがだれであるか知らなかった。イエスは、群衆がそこにいる間に、立ち去られたからである。

14) その後、イエスは、神殿の境内でこの人に出会って言われた。「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」

15) この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。

16) そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。

17) イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」

18) このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。

19) そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。

『あなたは何に渇いていますか』

2022年04月03日 津村友昭牧師

説教の中から

十字架の七つの言葉の第五番目の言葉が「渇く」であり、第六番目の言葉が「成し遂げられた」です。

人間の渇きはパンに飢える事でもなく、水に渇く事でもなく、主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きであると(アモス書8:11)

涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。(詩編42:2)

わたしたちも生ける神を求めているように、神もわたしたちをもとめて渇いて祝福を受け欲しいと渇いておられます。

ヨハネによる福音書19章26-30節

26) イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。

27) それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

28) この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。

29) そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。

30) イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。

『罪と悪の正体に迫る』

2022年03月27日 津村一志牧師

説教の中から

今、世界は大きな悲しみの中にある。ロシアのウクライナ侵攻によって多くの人々が生命を失い、家族を失い、仕事を失い、家を失い、町を失い、国を失いかけているからである。それを見ながら、人間とは罪と悪の前に愚かで無力な存在なのかと思う。この受難節にもう一度、罪と悪の正体に迫り、イエス・キリストの十字架の道を覚えて歩みたい。

ヨハネによる福音書8章42-44節

42) イエスは言われた。「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである。

43) わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。

44) あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。

『なぜイエスは神に捨てられたか」

2022年03月20日 津村友昭牧師

説教の中から

イエスが十字架上で叫ばれた言葉は7つです。

  1. 「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ伝23:24)
  2. するとイエスは「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ伝23:43)
  3. イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子たちとを見て、母に「夫人よ、御覧なさい。あなたの子です。」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。(ヨハネ19:26-27)
  4. 「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」これは「わが神、わが神、なぜ、わたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マルコ15:34)

今日はこの4番目の意味について御言葉より聞きます。

『三本の十字架』

2022年03月13日 津村友昭牧師 ルカによる福音書23章26-43節

説教の中から

ゴルゴダの丘には三本の十字架が立った。その中央の十字架は救い主と信じる者の罪を背負い救うためである。

十字架の両側には二人の強盗がかけられました。二人とも全く同じ状況に置かれていたのです。二人ともイエスの赦しの言葉を聞きましたが、その二人の間には救いと滅びの差が生じたのです。その差とはどうしてできてしまったのでしょうか。み言葉より聞きたいと思います。また、救いに入られた人のように生きたいと祈ります。

ルカによる福音書23章26-43節

26) 人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。

27) 民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。

28) イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。

29) 人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。

30) そのとき、人々は山に向かっては、/『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、/丘に向かっては、/『我々を覆ってくれ』と言い始める。

31) 『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」

32) ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。

33) 「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。

34) 〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。

35) 民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」

36) 兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、

37) 言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」

38) イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。

39) 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」

40) すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。

41) 我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」

42) そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。

43) するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

『主イエスとの出会い』

2022年03月06日 津村悦子牧師 ヨハネによる福音書4章5-26節

説教の中から

主イエスの名声が高くなり、主のガリラヤ伝道も出来にくくなり、争乱をさける為にサマリヤを通ることになった。正午頃に主だけが井戸のそばに座っておられた。そこでサマリヤの女性は主に出会った。

彼女は信じて、救われていきます。信じるという事は今、ただちに礼拝を捧げるという意味なのです。私たちは受洗して神の子になったのですから、感謝する者になりたいと・・・・・・。

ヨハネによる福音書4章5-26節

5) それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。

6) そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。

7) サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。

8) 弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。

9) すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。

10) イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」

11) 女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。

12) あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」

13) イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。

14) しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

15) 女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」

16) イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、

17) 女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。

18) あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」

19) 女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。

20) わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」

21) イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。

22) あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。

23) しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。

24) 神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」

25) 女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」

26) イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」

『赦しの心』

2022年02月27日 津村友昭牧師 
出エジプト記12章21-23節・ルカによる福音書23章1-40節

説教の中から

イエスは安息日に38年間病気で歩けなかった人をいやされた。また、イエスが中風の者をいやされた時「人よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。すると律法学者は「神を汚すことを言う人は、一体何者だと神以外に罪をゆるす事はできるのか」と言ってイエスを非難した。

イエスは十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からずにいるのです。」と言われた。神を父よと言われた。そしてわたしがメシヤであり、まことの神の子であると言われたのである。神を父と呼び、我々を神の子とする為にイエスは十字架にかかられたのです。

出エジプト記12章21-23節

21) モーセは、イスラエルの長老をすべて呼び寄せ、彼らに命じた。「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。

22) そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。

23) 主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。

ルカによる福音書23章1-40節

1) そこで、全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。

2) そして、イエスをこう訴え始めた。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」

3) そこで、ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」とお答えになった。

4) ピラトは祭司長たちと群衆に、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言った。

5) しかし彼らは、「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と言い張った。

6) これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、

7) ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。

8) 彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。

9) それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。

10) 祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。

11) ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。

12) この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。それまでは互いに敵対していたのである。

13) ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、

14) 言った。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。

15) ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。

16) だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」

17) (底本に節が欠けている個所の異本による訳文)祭りの度ごとに、ピラトは、囚人を一人彼らに釈放してやらなければならなかった。†

18) しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。

19) このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。

20) ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。

21) しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。

22) ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」

23) ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。

24) そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。

25) そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。

26) 人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。

27) 民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。

28) イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。

29) 人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。

30) そのとき、人々は山に向かっては、/『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、/丘に向かっては、/『我々を覆ってくれ』と言い始める。

31) 『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」

32) ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。

33) 「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。

34) 〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。

35) 民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」

36) 兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、

37) 言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」

38) イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。

39) 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」

40) すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。

『死が滅びた』

2022年02月20日 津村一志牧師 コリントの信徒への手紙Ⅰ15章50-58節

説教の中から

イエス・キリストは「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる。」(ヨハネ福音書11章25節)そういって、十字架にかけられ死なれた後、3日目に墓をけやぶって復活されました。そして、さらに弟子達の前に現れ、時には500人以上の弟子達に同時に現れたと言います。(第Ⅰコリントの信徒への手紙15章5節)これは、死が一人の人、アダムに入り、人類に入りましたが、死者の復活も一人の人、イエス・キリストを通して人類に入ってきている事を示すためです。このことを信じる者は幸いであります。

コリントの信徒への手紙Ⅰ15章50-58節

50) 兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。

51) わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。

52) 最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。

53) この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。

54) この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。「死は勝利にのみ込まれた。

55) 死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」

56) 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。

57) わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。

58) わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。

『ヘルモン山での話し合い』

2022年02月13日 津村友昭牧師 ルカによる福音書9章28-36節

説教の中から

イエスの山上の変貌の山ヘルモン山は、2814mと言われています。この山はガリラヤ湖から64㎞あります。祈っているとモーセとエリヤが現われ、最期の時についてルカ伝9章31節について語られました。モーセは預言者の代表者であり、モーセ(申命記34の7,10,第Ⅱ列王記2の11)が栄光のうちに主イエスのもとに現れるのです。この再期の時はルカ伝だけが記しています。King James訳では「死」について英語RSVでは「nisdeparture」出発についてです。

ルカによる福音書9章28-36節

28) この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。

29) 祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。

30) 見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。

31) 二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。

32) ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。

33) その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。

34) ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。

35) すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。

36) その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。

『新しく生まれなければ』

2022年02月06日 津村悦子牧師 ヨハネによる福音書3章1-7節

説教の中から

ニコデモはパリサイ人の一人で、ユダヤ人の指導者で法律の守り役として、特に強い意識を持った人でした。彼は主イエスの登場に対して、あまりよく思いませんでした。主は「誰でも新しく生まれなければ、神の国を見る事は出来ない」と言われました。その意味をニコデモはどのように受け取ったのでしょうか。

ヨハネによる福音書3章1-7節

1) さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。

2) ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」

3) イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」

4) ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」

5) イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。

6) 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。

7) 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。

『天国の鍵を得たペテロ』

2022年01月30日 津村友昭牧師 マタイによる福音書16章13-20節

説教の中から

イエスは弟子たちを連れて、フィリポ・カイサリアという所に来ました。その地は異邦人の血で、人々は牧畜の神を礼拝していました。イエスは弟子たちに「人々は人の子を誰と言っているか」と問いました。弟子たちは「バプテスマのヨハネ、エリヤ、エレミヤという人もいます」と答えました。すると更にイエスは「では、あなたがたはわたしを誰と言うか」と問います。ペトロが「あなたは生ける神の子、キリスト」と答えました。するとイエスは、「わたしはあなたに、天の御国の鍵をあげます」と答えられました。初代教会のリーダーはペトロであったのです。

マタイによる福音書16章13-20節

13) イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。

14) 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」

15) イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」

16) シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。

17) すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。

18) わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。

19) わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

20) それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。

『人間だけが神様と呼べる』

2022年01月23日 津村友昭牧師 ヨハネによる福音書20章19-29節・創世記1章26-28節、2章7節

説教の中から

人間の創造は特別なものとして書かれています。一番目につくのは26節で「我々にかたどり、我々に似せて」と「我々」と言われています。人間だけが「神様にとって」「呼びかける存在」として造られています。「かたどり、似せて」人間をつくられたのです。特別な地位栄光と威光には目的があります。それは神の代理人としてこの世を支配して治めるものなのです。

ヨハネによる福音書20章19-29節・創世記1章26-28節、2章7節

『内在する罪』

2022年01月16日 津村一志牧師 ローマの信徒への手紙7章13-25節

説教の中から

人は誰もが、心豊かで平安に生きていきたいと言えず、イライラし、怒りやすくなっている自分に気が付きます。パウロは「私は自分のしていることがわかりません。自分が望むことを実行せず、かえって悩んでいることをするからです。」と述べています。パウロはこのように人間の内面に潜む問題を直視しています。けれども、もう一方でイエス・キリストに結ばれている者には罪に定められることはありませんと述べています。又、罪が増した所には恵みはなお一層充ち溢れました。(ローマ5章20節)とも述べています。そのような神の恵みに自分の人生をのせて生きていきたいと思います。

ローマの信徒への手紙7章13-25節

13) それでは、善いものがわたしにとって死をもたらすものとなったのだろうか。決してそうではない。実は、罪がその正体を現すために、善いものを通してわたしに死をもたらしたのです。このようにして、罪は限りなく邪悪なものであることが、掟を通して示されたのでした。

14) わたしたちは、律法が霊的なものであると知っています。しかし、わたしは肉の人であり、罪に売り渡されています。

15) わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。

16) もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。

17) そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

18) わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。

19) わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。

20) もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

21) それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。

22) 「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、

23) わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。

24) わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。

25) わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。

『礼拝の祝福(富きよめ)』

2022年01月09日 津村悦子牧師 ヨハネによる福音書2章13-25節

説教の中から

主は、カナの婚礼後、宮きよめをして伝道をはじめられた。内にもえる熱情をもって。「求めなさい。捜しなさい。門をたたきなさい。」という祈りをするように言われた。求める人には、祈りは信じる者の秘訣です。神は、私たちに直接的に、又間接的にその応答を示してくださいます。神からの応答は私たちにとって大きな祝福となります。

ヨハネの福音書2章13-25節

13) ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。

14) そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。

15) イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、

16) 鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」

17) 弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。

18) ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。

19) イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」

20) それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。

21) イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。

22) イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。

23) イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。

24) しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、

25) 人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。

『光を求めて生きる』

2022年01月02日 津村友昭牧師
創世記1章1-3節、ヨハネによる福音書1章1-18節

説教の中から

新年おめでとうございます。今年も長生きして主のために思い切り生き、栄光をあらわすものとして使命を果たして生きましょう。

神が創造されるまでは地が混沌であった。そこで神は光を創造された。

人間が罪を犯して再び罪の混沌が支配してしまったとき、神は再び光としてイエスキリストをつかわされました。心を明るく照らして力強く生きましょう。

創世記1章1-3節

1) 初めに神は天と地を創造された。

2) 地は混沌として、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。

3) 神は言われた。「光あれ。」すると光があった。

ヨハネによる福音書1章1-18節

1) 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

2) この言は、初めに神と共にあった。

3) 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

4) 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。

5) 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

6) 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。

7) 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。

8) 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。

9) その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

10) 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。

11) 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。

12) しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。

13) この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。

14) 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

15) ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」

16) わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。

17) 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。

18) いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

『主イエスの神性と栄光』

2021年12月26日 津村悦子牧師 ヨハネによる福音書2章1-11節

説教の中から

ヨハネによる福音書の冒頭は極めて重要であり、深い意味があります。

ヨハネ序文に少し足します。マタイ、マルコ、ルカを共観福音書と言います。又、ヨハネ伝を四福音書と言われます。この文章は特に深い意味が備わっています。

ガリラヤのカナの出来事です。主はここで何を語ろうとしているのでしょうか。

ヨハネによる福音書2章1-11節

1) 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。

2) イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。

3) ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。

4) イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」

5) しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。

6) そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。

7) イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。

8) イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。

9) 世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、

10) 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」

11) イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

『』

2021年12月24日 クリスマスイブ礼拝

説教の中から

クリスマスはイエス・キリストの誕生をお祝いする日です。それは、神が人間に与えてくださった暗闇を照らす光です。特に人々の暗い政治的心を照らす光です。

当時(2000年前)も今も、押しつぶされそうな出来事の中で引きずりまわされたりするような中にあっても、神様が確実に働いておられることを知る事が出来ます。

マリアとヨセフに神様がついておられたように、私たちと、神様は共におられるメッセージです。

ルカによる福音書2章8-20節

8) さて、その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。

9) すると、主の天使が現れ、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。

10) 天使は言った。「恐れるな。私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる。

11) 今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。

12) あなたがたは、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これがあなたがたへのしるしである。」

13) すると、突然、天の大軍が現れ、この天使と共に神を賛美して言った。

14) 「いと高き所には栄光、神にあれ/地には平和、御心に適う人にあれ。」

15) 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。

16) そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝ている乳飲み子を探し当てた。

17) その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使から告げられたことを人々に知らせた。

18) 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。

19) しかし、マリアはこれらのことをすべて心に留めて、思い巡らしていた。

20) 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の告げたとおりだったので、神を崇め、賛美しながら帰って行った。

『希望と回復の訪れ』

2021年12月19日 津村一志牧師 
マタイによる福音書1章18節-25節・ローマの信徒への手紙5章12節-15節

燭火礼拝(イブ礼拝)とキャロリングのお知らせ

12/24(金)燭火礼拝(イブ礼拝)18:00-19:00 キャロリグ19:15-21:30
19:15 サンライトパストラル五番街
19:30 サンライトパストラル弐番街
19:45 中央パークハウス
20:15 JR新松戸駅
20:45 南パークハウス
21:00 サンライトパストラル壱番街
21:30 教会に戻ってTea Party
※キャロリング・・・町に出て賛美を歌います。

マタイによる福音書1章18節-25節

18) イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。

19) 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。

20) このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。

21) マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

22) このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

23) 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

24) ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、

25) 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。

ローマの信徒への手紙5章12節-15節

12) このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。

13) 律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。

14) しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。

15) しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。

『キリストがなぜベツレヘムに生まれたか』

2021年12月12日 津村友昭牧師 ミカ書5章1-5 ルカによる福音書2章8-20節

説教の中から

イエスが生まれる700年前にミカは「救い主」はベツレヘムに生まれると語りました。ベツレヘムは「ユダ民族の中で最も小さい町」と呼ばれていました。

ベツレヘムは「ダビデの町」でもあります。救い主はダビデの子孫から生まれるという予言があるからです。(Ⅱサムエル7:12-16)ダビデは王なる前に羊飼いでした。

またベツレヘムの名前は「パンの家」です。ベツレヘムの馬小屋で生まれ飼い葉桶に寝かされた意味について御言葉より聞きます。

ミカ書5章1-5節

1) エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。

2) まことに、主は彼らを捨ておかれる/産婦が子を産むときまで。そのとき、彼の兄弟の残りの者は/イスラエルの子らのもとに帰って来る。

3) 彼は立って、群れを養う/主の力、神である主の御名の威厳をもって。彼らは安らかに住まう。今や、彼は大いなる者となり/その力が地の果てに及ぶからだ。

4) 彼こそ、まさしく平和である。アッシリアが我々の国を襲い/我々の城郭を踏みにじろうとしても/我々は彼らに立ち向かい/七人の牧者、八人の君主を立てる。

5) 彼らは剣をもってアッシリアの国を/抜き身の剣をもってニムロドの国を牧す。アッシリアが我々の国土を襲い/我々の領土を踏みにじろうとしても/彼らが我々を救ってくれる。

ルカによる福音書2章8-20節

8) その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。

9) すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。

10) 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。

11) 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。

12) あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

13) すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。

14) 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」

15) 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。

16) そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。

17) その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。

18) 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。

19) しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。

20) 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

『永遠の解放者』

2021年12月05日 津村悦子牧師 ルカによる福音書2章6-20節

説教の中から

ヨハネによる福音書・ルカによる福音書の冒頭は極めて重要であり、深い意味がある主イエスの「神の創造的な生命と光を与える言」であり、世界を創造した神の力です。また、人間の肉体の形をとって地上に来られた。ヨハネの偉大な預言からきた思想を更に検討する必要があり、今回もともに聞いてみたい。

ルカによる福音書2章6-20節

6) ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、

7) 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

8) その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。

9) すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。

10) 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。

11) 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。

12) あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

13) すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。

14) 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」

15) 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。

16) そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。

17) その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。

18) 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。

19) しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。

20) 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

『我らを救う神の情熱』

2021年11月28日 津村友昭牧師 イザヤ書8章23節-9章6節

説教の中から

本日よりアドベントに入ります。イザヤ書9章6節に「万軍の主の熱心さがこれを成し遂げる」と言われてきました。素晴らしい預言です。それは「異邦人のガリラヤが栄光を受けた」2章5節に記されています。しかもここに預言的完了形が書かれていて、未来に確実に起こる事が強調されています。

「ひとりのみどり子が私たちのために生れた」とBC800年頃言われました。「すでにメシヤは生れた」と書かれています。

イザヤ書8章23節-9章6節

ダビデの位

23) 先に/ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが/後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた/異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。

1) 闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。

2) あなたは深い喜びと/大きな楽しみをお与えになり/人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように/戦利品を分け合って楽しむように。

3) 彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を/あなたはミディアンの日のように/折ってくださった。

4) 地を踏み鳴らした兵士の靴/血にまみれた軍服はことごとく/火に投げ込まれ、焼き尽くされた。

5) ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。

6) ダビデの王座とその王国に権威は増し/平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって/今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

『聖書の結婚観』

2021年11月21日 津村一志牧師 創世記2章18-25節

説教の中から

私達が幸せな人生を歩もうとする時、どのような結婚や家庭を築いていくかという事抜きに考える事は出来ません。聖書には神様が願っておられる家庭の形というものが示されています。それが分かると、聖書の結婚観はこの世のものとは随分違う事に気が付きます。

今一度、自分自身がどのような結婚観を持っているのかを知り、神様の御心にかなった結婚の形を探っていきたいと思います。

創世記2章18-25節

18) 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

19) 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。

20) 人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。

21) 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。

22) そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、

23) 人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」

24) こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。

25) 人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。

『一人の人間の偉大さ』

2021年11月14日 津村友昭牧師 列王記上18章25-40節 創世記12章1-3節

説教の中から

宗教改革においてルターという一人の人間が聖書の信仰において立ち上がった偉大さを思います。また、バアルの預言者とエリヤが850対1で戦った事を思います。我々もダイキンと20人の弁護士たちと戦って完全勝利したのも信仰です。

一人の人間の偉大さは素晴らしいです。どうせ私が一人位と考えるのではなくこのわたしでなくてはならないという強い信仰をもって歩みましょう。一人が変われば世界は変わります。

列王記上18章25-40節

25) エリヤはバアルの預言者たちに言った。「あなたたちは大勢だから、まずあなたたちが一頭の雄牛を選んで準備し、あなたたちの神の名を呼びなさい。火をつけてはならない。」

26) 彼らは与えられた雄牛を取って準備し、朝から真昼までバアルの名を呼び、「バアルよ、我々に答えてください」と祈った。しかし、声もなく答える者もなかった。彼らは築いた祭壇の周りを跳び回った。

27) 真昼ごろ、エリヤは彼らを嘲って言った。「大声で呼ぶがいい。バアルは神なのだから。神は不満なのか、それとも人目を避けているのか、旅にでも出ているのか。恐らく眠っていて、起こしてもらわなければならないのだろう。」

28) 彼らは大声を張り上げ、彼らのならわしに従って剣や槍で体を傷つけ、血を流すまでに至った。

29) 真昼を過ぎても、彼らは狂ったように叫び続け、献げ物をささげる時刻になった。しかし、声もなく答える者もなく、何の兆候もなかった。

30) エリヤはすべての民に向かって、「わたしの近くに来なさい」と言った。すべての民が彼の近くに来ると、彼は壊された主の祭壇を修復した。

31) エリヤは、主がかつて、「あなたの名はイスラエルである」と告げられたヤコブの子孫の部族の数に従って、十二の石を取り、

32) その石を用いて主の御名のために祭壇を築き、祭壇の周りに種二セアを入れることのできるほどの溝を掘った。

33) 次に薪を並べ、雄牛を切り裂き、それを薪の上に載せ、

34) 「四つの瓶に水を満たして、いけにえと薪の上にその水を注げ」と命じた。彼が「もう一度」と言うと、彼らはもう一度そうした。彼が更に「三度目を」と言うと、彼らは三度同じようにした。

35) 水は祭壇の周りに流れ出し、溝にも満ちた。

36) 献げ物をささげる時刻に、預言者エリヤは近くに来て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であられること、またわたしがあなたの僕であって、これらすべてのことをあなたの御言葉によって行ったことが、今日明らかになりますように。

37) わたしに答えてください。主よ、わたしに答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたが神であり、彼らの心を元に返したのは、あなたであることを知るでしょう。」

38) すると、主の火が降って、焼き尽くす献げ物と薪、石、塵を焼き、溝にあった水をもなめ尽くした。

39) これを見たすべての民はひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です」と言った。

40) エリヤは、「バアルの預言者どもを捕らえよ。一人も逃がしてはならない」と民に命じた。民が彼らを捕らえると、エリヤは彼らをキション川に連れて行って殺した。

創世記12章1-3節

1) 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。

2) わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。

3) あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」

『人に個性あり、聖書は更に味あり』

2021年11月07日 津村悦子牧師 ヨハネによる福音書1章1-18節

説教の中から

説教には話し方に種類があります。

  1. 礼拝説教 (これは普通に誰でも聞ける一般的なもの)
  2. 講解説教 信仰の成長のため、順を追って語る少し固いもの
  3. 伝道集会的説教 (初心者のための説教)
    ここにベストを案内する事もあります。

すべての聖書に序文があり、主題があり、焦点があります。これから学ぶヨハネ福音書は講解説教です。「信じる」とは何か、「信仰」とは何かを主題としています。

ヨハネによる福音書1章1-18節

1) 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

2) この言は、初めに神と共にあった。

3) 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

4) 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。

5) 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

6) 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。

7) 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。

8) 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。

9) その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

10) 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。

11) 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。

12) しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。

13) この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。

14) 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

15) ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」

16) わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。

17) 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。

18) いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

『どっちつかずからの脱却』

2021年10月31日 津村友昭牧師 ローマの信徒への手紙1章16-17節

説教の中から

10月31日は、ルターの宗教改革記念日です。ルターは聖書の読み直しによって宗教改革を起こしました。ラオディキアの教会に「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくも熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。(黙示録3:15)」とあります。エリヤは、バアルの預言者850人と1人で戦いました。その信仰の熱さ、エネルギーを宗教改革記念日にあたって新しく受けましょう。

ローマの信徒への手紙1章16-17節

16) わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。

17) 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

『三者のうめき』

2021年10月24日 津村一志牧師 ローマの信徒への手紙8章18-30節

説教の中から

今日のこの箇所には三者のうめきが書かれている。

  1. 被造物のうめき
  2. 人間のうめき
  3. 聖霊のうめき

先日、私は10年前に原発災害で被害を受けた福島の双葉町に行って、色々なものを見る機会が与えられた。その場に立って、私はこの三者のうめき声が聞こえてくるような気がした。そのうえめき声に耳をかたむけると共にその先にある希望をも、見つけていきたい。

ローマの信徒への手紙8章18-30節

18) 現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。

19) 被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。

20) 被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。

21) つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。

22) 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。

23) 被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。

24) わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。

25) わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。

26) 同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。

27) 人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。

28) 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

29) 神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。

30) 神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。

『心の目と耳が開かれる』

2021年10月17日 津村友昭牧師 マルコによる福音書7章31-37節

説教の中から

イエスは、耳が聞こえず下の回らない人の上に手を置いて癒されました。その時、天を仰ぎ深く息をつかれました。天を仰ぐのは祈りの姿勢です。天からの力によってその男に何かが起きるという事が示されます。

天の父なる神にその人の苦しみを共に担って祈られました。「そして、うめく、苦しむ、もだえる」心で祈られました。そのうめきは十字架と血と肉をさいて流して、罪からの贖いをなして下さったのでもっと心からの感謝を献げましょう。

マルコによる福音書7章31-37節

31) それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。

32) 人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。

33) そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。

34) そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。

35) すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。

36) イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。

37) そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」

『何を心に留めようか』

2021年10月10日 坂口聖子牧師(宮古島教会牧師) ハガイ書1章1-15節

説教の中から

ハガイ書の特徴

バビロン捕囚から最初に帰還した人々は残留していた人々と対立し、政治情勢は不安定となり本来の目的であった神殿建築は忘れられていた。ハガイは民が一致して神殿建築に参加する事が主の意にかない、主の恵みによってイスラエルに勝利の収穫がもたらされると予言した。今日コロナの中にあって主の御心を求めていきましょう。

ハガイ書1章1-15節

1) ダレイオス王の第二年六月一日に、主の言葉が預言者ハガイを通して、ユダの総督シェアルティエルの子ゼルバベルと大祭司ヨツァダクの子ヨシュアに臨んだ。

2) 「万軍の主はこう言われる。この民は、『まだ、主の神殿を再建する時は来ていない』と言っている。」

3) 主の言葉が、預言者ハガイを通して臨んだ。

4) 「今、お前たちは、この神殿を/廃虚のままにしておきながら/自分たちは板ではった家に住んでいてよいのか。

5) 今、万軍の主はこう言われる。お前たちは自分の歩む道に心を留めよ。

6) 種を多く蒔いても、取り入れは少ない。食べても、満足することなく/飲んでも、酔うことがない。衣服を重ねても、温まることなく/金をかせぐ者がかせいでも/穴のあいた袋に入れるようなものだ。

7) 万軍の主はこう言われる。お前たちは自分の歩む道に心を留めよ。

8) 山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。わたしはそれを喜び、栄光を受けると/主は言われる。

9) お前たちは多くの収穫を期待したが/それはわずかであった。しかも、お前たちが家へ持ち帰るとき/わたしは、それを吹き飛ばした。それはなぜか、と万軍の主は言われる。それは、わたしの神殿が廃虚のままであるのに/お前たちが、それぞれ自分の家のために/走り回っているからだ。

10) それゆえ、お前たちの上に/天は露を降らさず/地は産物を出さなかった。

11) わたしが干ばつを呼び寄せたので/それは、大地と山々と穀物の上に/新しいぶどう酒とオリーブ油と/土地が産み出す物の上に/また人間と家畜と/すべて人の労苦の上に及んだのだ。」

12) シャルティエルの子ゼルバベルと、大祭司ヨツァダクの子ヨシュア、および民の残りの者は皆、彼らの神、主が預言者ハガイを遣わされたとき、彼の言葉を通して、彼らの神、主の御声に耳を傾けた。民は主を畏れ敬った。

13) 主の使者ハガイは、主の派遣に従い、民に告げて言った。「わたしはあなたたちと共にいる、と主は言われる。」

14) 主が、ユダの総督シャルティエルの子ゼルバベルと大祭司ヨツァダクの子ヨシュア、および民の残りの者すべての霊を奮い立たせられたので、彼らは出て行き、彼らの神、万軍の主の神殿を建てる作業に取りかかった。

15) それは六月二十四日のことであった。

『復活の主とマグダラのマリヤ』

2021年10月03日 津村悦子牧師 ヨハネの福音書20章11-18節

説教の中から

伝承ではマグダラのマリヤは、マルタの姉妹と同一人物としているのに教会側はこの二人は別人として対照的な違う性格の女性とされています。復活の主とマグダラのマリヤとの会話の中に、主イエス・キリストのマリヤに対する思いやり等があり、深い主の愛を知ります。

ヨハネによる福音書20章11-18節

11) マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、

12) イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。

13) 天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」

14) こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。

15) イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」

16) イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。

17) イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」

18) マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。

「必要を満たして下さる神様』

2021年09月26日 津村一志牧師 マタイによる福音書6章25-34節

説教の中から

今日、私たちは刻々と目ざましく変化する不安定な社会の中で生きています。今日は大丈夫でも明日はどうなっているのか、誰もわかりません。アフガニスタンでは今日ご飯を食べる事が出来るか分からないという人が3人に1人いるそうです。

主イエスに従っていった弟子たちは仕事を捨ててついていきました。生活の問題が彼らの関心であり、人々の関心でもありました。主はそんな人々を見て、「空の鳥を見よ、彼らは種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしないのに天の父は鳥を養っておられるではないか」といって、必要を満たして下さる神様がおられる事を教えられたのです。

マタイによる福音書6章25-34節

25) 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

26) 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。

27) あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。

28) なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

29) しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

30) 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。

31) だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。

32) それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。

33) 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

34) だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

『神の片務的契約とは』

2021年09月19日 津村友昭牧師 創世記2章6-18 12章1-9

説教の中から

  1. アダムとイブとの契約は双務的契約です。実を食べるなと言われたのに神の契約を無視したのです。
  2. 契約を守れなくなったので神は片務的契約をアブラハムに、更にダビデ契約をし、イエス・キリストを通して新しい十字架の愛、片務的契約(片思いをして)愛して下さったのです。

創世記2章6-18節

6) しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。

7) 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

8) 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。

9) 主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。

10) エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。

11) 第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。

12) その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。

13) 第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。

14) 第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった。

15) 主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。

16) 主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。

17) ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」

18) 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

創世記12章1-9節

1) 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。

2) わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。

3) あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」

4) アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。

5) アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。

6) アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。

7) 主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。

8) アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。

9) アブラムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った。

『苦しい時の神頼みか離れか』

2021年09月12日 マタイによる福音書4章1-11節 ヨブ記1章1-11節

説教の中から

今日の時代はコロナはじめ沢山の苦しいことがやってきます。神を信じる者にも当然やってきます。その時あなたはどちらになるのでしょうか。苦しい時に良い神を求める神頼みの人となる力、それとも苦しい時の神離れになるのでしょうか。それはどちらに心が奪われてしまうのでしょうか。私たちが喜ぼうと悲しくあろうとも神は神です。故に礼拝するのです。わざわい、幸せを越えて神に近づきましょう。

マタイによる福音書4章1-11節

1) さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。

2) そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。

3) すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」

4) イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」

5) 次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、

6) 言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、/あなたの足が石に打ち当たることのないように、/天使たちは手であなたを支える』/と書いてある。」

7) イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。

8) 更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、

9) 「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。

10) すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。」

11) そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。

ヨブ記1章1-11節

1) ウツの地にヨブという人がいた。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。

2) 七人の息子と三人の娘を持ち、

3) 羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭の財産があり、使用人も非常に多かった。彼は東の国一番の富豪であった。

4) 息子たちはそれぞれ順番に、自分の家で宴会の用意をし、三人の姉妹も招いて食事をすることにしていた。

5) この宴会が一巡りするごとに、ヨブは息子たちを呼び寄せて聖別し、朝早くから彼らの数に相当するいけにえをささげた。「息子たちが罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにした。

6) ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。

7) 主はサタンに言われた。「お前はどこから来た。」「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。

8) 主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」

9) サタンは答えた。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。

10) あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。

11) ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」

『世界の完成 主よ、私の内に来て下さい』

2021年09月05日 津村悦子牧師 ヨハネの黙示録22章6-21節

説教の中から

聖書は創世記に始まり、黙示録で終わります。それは神がアルファ(初め、すべての意)であり、オメガ(永遠)でおられるからです。永遠なる神は「在って在るもの」であり、世界の創造者であり、完成者です。それは聖書のみが私たちに示す心理です。

ヨハネの黙示録22章6-21節

6) そして、天使はわたしにこう言った。「これらの言葉は、信頼でき、また真実である。預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、御自分の僕たちに示されたのである。

7) 見よ、わたしはすぐに来る。この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである。」

8) わたしは、これらのことを聞き、また見たヨハネである。聞き、また見たとき、わたしは、このことを示してくれた天使の足もとにひれ伏して、拝もうとした。

9) すると、天使はわたしに言った。「やめよ。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書物の言葉を守っている人たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。」

10) また、わたしにこう言った。「この書物の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。時が迫っているからである。

11) 不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。

12) 見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。

13) わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。

14) 命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。

15) 犬のような者、魔術を使う者、みだらなことをする者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は都の外にいる。

16) わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」

17) “霊”と花嫁とが言う。「来てください。」これを聞く者も言うがよい、「来てください」と。渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。

18) この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。

19) また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。

20) 以上すべてを証しする方が、言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。

21) 主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。

『恐れにさようなら』

2021年08月29日 津村一志牧師 マタイによる福音書10章26-31節

説教の中から

私たちは毎日の生活の中で、笑ったり、泣いたり、喜んだり、悲しんだりしています。その中でも厄介なのは、『恐れ』であります。恐れが心の中に入ると、私たちは空気が抜けた風船のようにしぼみ、萎えてしまい、しっかりと主の前に立つことができなくなってしまいます。

イエス様は「からだを殺しても、魂を殺すことのできないものを恐れるな」と言われました。今、自分が恐れているものは何か。また、本当に恐れるべき方を畏れているのか。今一度、御言葉に聞きたいと思います。

マタイによる福音書10章26-31節

26) 「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。

27) わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。

28) 体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

29) 二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。

30) あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。

31) だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」

『人生の勝利者になるには』

2021年08月22日 津村友昭牧師 
士師記11章1-40節
(ヘブライ人への手紙11章32-34節)

説教の中から

いよいよアンモン人とのやりとりをへて戦いが始まる29節に「主の霊がエフタに臨んだ。」と語られています。そこには主なる神の御心があり、祈りが積まれ、主の霊に導かれて戦ったのです。彼は誓願を建てたのです。「もし勝利して最初に帰ってきたものをあなたに捧げます。」と、最初に帰ってきたのはタンバリンをたたき、勝利を喜びながら来た娘でした。

士師記11章1-40節

1) ギレアドの人エフタは、勇者であった。彼は遊女の子で、父親はギレアドである。

2) ギレアドの妻も男の子を産んだ。その妻の産んだ子供たちは成長すると、エフタに、「あなたは、よその女の産んだ子だから、わたしたちの父の家にはあなたが受け継ぐものはない」と言って、彼を追い出した。

3) エフタは兄弟たちから逃れて、トブの地に、身を落ち着けた。そのエフタのもとにはならず者が集まり、彼と行動を共にするようになった。

4) しばらくしてアンモンの人々が、イスラエルに戦争を仕掛けてきた。

5) アンモンの人々が戦争を仕掛けてきたとき、ギレアドの長老たちはエフタをトブの地から連れ戻そうと、やって来た。

6) 彼らはエフタに言った。「帰って来てください。わたしたちの指揮官になっていただければ、わたしたちもアンモンの人々と戦えます。」

7) エフタはギレアドの長老たちに言った。「あなたたちはわたしをのけ者にし、父の家から追い出したではありませんか。困ったことになったからと言って、今ごろなぜわたしのところに来るのですか。」

8) ギレアドの長老たちは、エフタに言った。「だからこそ今、あなたのところに戻って来たのです。わたしたちと共に来て、アンモン人と戦ってくださるなら、あなたにわたしたちギレアド全住民の、頭になっていただきます。」

9) エフタは、ギレアドの長老たちに言った。「あなたたちがわたしを連れ帰り、わたしがアンモン人と戦い、主が彼らをわたしに渡してくださるなら、このわたしがあなたたちの頭になるというのですね。」

10) ギレアドの長老たちは、エフタに言った。「主がわたしたちの一問一答の証人です。わたしたちは必ずあなたのお言葉どおりにいたします」と答えた。

11) エフタはギレアドの長老たちと同行した。民は彼を自分たちの頭とし、指揮官として立てた。エフタは、ミツパで主の御前に出て自分が言った言葉をことごとく繰り返した。

12) エフタは、アンモンの王に使者を送って言わせた。「あなたはわたしと何のかかわりがあって、わたしの国に戦いを仕掛けようと向かって来るのか。」

13) アンモンの王はエフタの使者に答えた。「イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノンからヤボク、ヨルダンまでのわが国土を奪ったからだ。今、それを平和に返還せよ。」

14) エフタは再びアンモンの王に使者を送って、

15) 言わせた。「エフタはこう言う。イスラエルはモアブの地もアンモンの地も奪いはしなかった。

16) イスラエルはエジプトから上って来たとき、荒れ野を通って葦の海まで来て、更にカデシュにたどりついた。

17) そこからエドムの王に使者を送り、『あなたの国を通らせていただきたい』と頼んだが、エドムの王は聞き入れず、モアブの王にも使者を送ったが、この王も同意せず、イスラエルはカデシュにとどまったままであった。

18) イスラエルはやがて荒れ野を進み、エドムとモアブの地を迂回し、モアブの地の東側に出て、アルノンの向こう側に宿営した。アルノンがモアブの境界であったから、モアブの領土は侵さなかった。

19) イスラエルは、ヘシュボンに君臨するアモリ人の王シホンに使者を送った。『あなたの国を通ってわたしの目指すところまで行かせてください』とイスラエルは頼んだが、

20) シホンはイスラエルを信用せず、領土内を通らせないだけでなく、すべての民を結集してヤハツに陣を敷き、イスラエルに戦いを仕掛けてきた。

21) しかしイスラエルの神、主が、シホンとそのすべての民をイスラエルの手にお渡しになったので、イスラエルは彼らを撃ち破り、アモリ人が住んでいたこのすべての地方を占領した。

22) こうしてイスラエルは、アルノンからヤボクまで、荒れ野からヨルダンまでのアモリ人の全領土を占領した。

23) イスラエルの神、主が御自分の民イスラエルの前からアモリ人を追い払われたのに、あなたはそのイスラエルを追い払おうとしている。

24) あなたは、あなたの神ケモシュが得させてくれた所を得、わたしたちは、わたしたちの神、主が与えてくださった所をすべて得たのではなかったか。

25) あなたはモアブの王ツィポルの子バラクをしのごうとするのか。彼はイスラエルと争ったり、戦火を交えたりしただろうか。

26) イスラエルはヘシュボンとその周辺の村落、アロエルとその周辺の村落およびアルノン流域のすべての町々に三百年にもわたって住んできたが、なぜ、あなたたちはこの間にそれを取り戻さなかったのか。

27) わたしはあなたに何も間違ったことをしていない。あなたこそ戦いを仕掛けて、わたしに不当なことをしている。審判者である主が、今日、イスラエルの人々とアンモンの人々の間を裁いてくださるように。」

28) しかし、アンモン人の王は、エフタが送ったこの言葉を聞こうとはしなかった。

29) 主の霊がエフタに臨んだ。彼はギレアドとマナセを通り、更にギレアドのミツパを通り、ギレアドのミツパからアンモン人に向かって兵を進めた。

30) エフタは主に誓いを立てて言った。「もしあなたがアンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、

31) わたしがアンモンとの戦いから無事に帰るとき、わたしの家の戸口からわたしを迎えに出て来る者を主のものといたします。わたしはその者を、焼き尽くす献げ物といたします。」

32) こうしてエフタは進んで行き、アンモン人と戦った。主は彼らをエフタの手にお渡しになった。

33) 彼はアロエルからミニトに至るまでの二十の町とアベル・ケラミムに至るまでのアンモン人を徹底的に撃ったので、アンモン人はイスラエルの人々に屈服した。

34) エフタがミツパにある自分の家に帰ったとき、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来た。彼女は一人娘で、彼にはほかに息子も娘もいなかった。

35) 彼はその娘を見ると、衣を引き裂いて言った。「ああ、わたしの娘よ。お前がわたしを打ちのめし、お前がわたしを苦しめる者になるとは。わたしは主の御前で口を開いてしまった。取り返しがつかない。」

36) 彼女は言った。「父上。あなたは主の御前で口を開かれました。どうか、わたしを、その口でおっしゃったとおりにしてください。主はあなたに、あなたの敵アンモン人に対して復讐させてくださったのですから。」

37) 彼女は更に言った。「わたしにこうさせていただきたいのです。二か月の間、わたしを自由にしてください。わたしは友達と共に出かけて山々をさまよい、わたしが処女のままであることを泣き悲しみたいのです。」

38) 彼は「行くがよい」と言って、娘を二か月の間去らせた。彼女は友達と共に出かけ、山々で、処女のままであることを泣き悲しんだ。

39) 二か月が過ぎ、彼女が父のもとに帰って来ると、エフタは立てた誓いどおりに娘をささげた。彼女は男を知ることがなかったので、イスラエルに次のようなしきたりができた。

40) 来る年も来る年も、年に四日間、イスラエルの娘たちは、ギレアドの人エフタの娘の死を悼んで家を出るのである。

ヘブライ人への手紙11章32-34節

32) これ以上、何を話そう。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。

33) 信仰によって、この人たちは国々を征服し、正義を行い、約束されたものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、

34) 燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました。

『本当の幸せに至る知らせ』

2021年08月15日 津村一志牧師 ローマの信徒への手紙1章16-17節

説教の中から

私たちの人生には生老病死という苦しみがやってきます。この苦しみを解決したいという思いは人類共通の願いです。そもそも、アダムとエバは神に与えられたエデンの園でそれとは関係のない生活を享受していました。ところが、罪を犯して神様から離れた時に生老病死がやってきたのです。福音とは良き知らせです。人生のすべての問題を解決する知らせがあります。

イエス・キリストを通してアダムが失ってしまった祝福をすべて回復させる恵みの道がここにあります。新しいエデンの園が私たちに用意されているのです。

ローマの信徒への手紙1章16-17節

16) わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。

17) 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

『限界を超えるには』

2021年08月08日 津村友昭牧師 民数記14章5-38節 使徒言行録4章27-31節

説教の中から

「人生は戦いである。勝つか負けるかである。だから生きるか、死ぬかである」オリンピック2連勝した大野選手の言葉である。キリスト者もサタンとの戦いである。自分の力で向かっても敗北したくない。聖霊様の力を求め、願い、充満にならねばならない。そのために祈りが必要である。ヨシュアとカレブの信仰にならい、また初代教会の弟子たちも神の臨在を求めつつ大胆に戦った。その生き様を今日学びましょう。

民数記14章5-38節

5) モーセとアロンは、イスラエルの人々の共同体の全会衆の前でひれ伏していた。

6) 土地を偵察して来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブは、衣を引き裂き、

7) イスラエルの人々の共同体全体に訴えた。「我々が偵察して来た土地は、とてもすばらしい土地だった。

8) もし、我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう。

9) ただ、主に背いてはならない。あなたたちは、そこの住民を恐れてはならない。彼らは我々の餌食にすぎない。彼らを守るものは離れ去り、主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない。」

10) しかし、共同体全体は、彼らを石で打ち殺せと言った。主の栄光はそのとき、臨在の幕屋でイスラエルの人々すべてに現れた。

11) 主はモーセに言われた。「この民は、いつまでわたしを侮るのか。彼らの間で行ったすべてのしるしを無視し、いつまでわたしを信じないのか。

12) わたしは、疫病で彼らを撃ち、彼らを捨て、あなたを彼らよりも強大な国民としよう。」

13) モーセは主に訴えた。「エジプト人は、あなたが御力をもって、彼らのうちからこの民を導き上られたことを聞いて、

14) この地方に住む者に伝えます。彼らは、主よ、あなたがこの民のただ中におられ、主よ、あなたが目の当たりに現れられること、また、あなたの雲が民の上にあり、あなたが、昼は雲の柱、夜は火の柱のうちにあって先頭に進まれることを聞いています。

15) もし、あなたがこの民を一挙に滅ぼされるならば、あなたの名声を聞いた諸国民は言うことでしょう。

16) 主は、与えると誓われた土地にこの民を連れて行くことができないので、荒れ野で彼らを殺したのだ、と。

17) 今、わが主の力を大いに現してください。あなたはこう約束されました。

18) 『主は、忍耐強く、慈しみに満ち、罪と背きを赦す方。しかし、罰すべき者を罰せずにはおかれず、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問われる方である』と。

19) どうか、あなたの大きな慈しみのゆえに、また、エジプトからここに至るまで、この民を赦してこられたように、この民の罪を赦してください。」

20) 主は言われた。「あなたの言葉のゆえに、わたしは赦そう。

21) しかし、わたしは生きており、主の栄光は全地に満ちている。

22) わたしの栄光、わたしがエジプトと荒れ野で行ったしるしを見ながら、十度もわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者はだれ一人として、

23) わたしが彼らの先祖に誓った土地を見ることはない。わたしをないがしろにする者はだれ一人としてそれを見ることはない。

24) しかし、わたしの僕カレブは、別の思いを持ち、わたしに従い通したので、わたしは彼が見て来た土地に連れて行く。彼の子孫はそれを継ぐ。

25) しかし、今はアマレク人とカナン人とがあの平野に住んでいるから、向きを変え、明日、葦の海の道を通って、荒れ野に向けて出発しなさい。」

26) 主はモーセとアロンに仰せになった。

27) 「この悪い共同体は、いつまで、わたしに対して不平を言うのか。わたしは、イスラエルの人々がわたしに対して言う不平を十分聞いた。

28) 彼らに言うがよい。『主は言われる。わたしは生きている。わたしは、お前たちが言っていることを耳にしたが、そのとおり、お前たちに対して必ず行う。

29) お前たちは死体となってこの荒れ野に倒れるであろう。わたしに対して不平を言った者、つまり戸籍に登録をされた二十歳以上の者はだれ一人、

30) わたしが手を上げて誓い、あなたたちを住まわせると言った土地に入ることはない。ただし、エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアは別だ。

31) お前たちは、子供たちが奪われると言ったが、わたしは彼らを導き入れ、彼らは、お前たちの拒んだ土地を知るようになる。

32) しかし、お前たちは死体となってこの荒れ野で倒れる。

33) お前たちの子供は、荒れ野で四十年の間羊飼いとなり、お前たちの最後の一人が荒れ野で死体となるまで、お前たちの背信の罪を負う。

34) あの土地を偵察した四十日という日数に応じて、一日を一年とする四十年間、お前たちの罪を負わねばならない。お前たちは、わたしに抵抗するとどうなるかを知るであろう。

35) 主であるわたしは断言する。わたしに逆らって集まったこの悪い共同体全体に対して、わたしはこのことを行う。彼らはこの荒れ野で死に絶える。』」

36) モーセが遣わした男たちは、土地の偵察から帰ると、その土地について悪い情報を流し、共同体全体が彼に向かって不平を言うようにしたが、

37) 土地について悪い情報を流した者は、主の御前で疫病にかかって死んだ。

38) しかし、土地を偵察に行った者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブだけは生き残った。

使徒言行録4章27-31節

27) 事実、この都でヘロデとポンティオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民と一緒になって、あなたが油を注がれた聖なる僕イエスに逆らいました。

28) そして、実現するようにと御手と御心によってあらかじめ定められていたことを、すべて行ったのです。

29) 主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。

30) どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」

31) 祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。

『新しい天と新しい地を見た』

2021年08月01日 津村悦子牧師 ヨハネの黙示録21章1-7節

説教の中から

ここで言われている新天新地は、単に古い天と異なる刷新されたものではなく新創造の行為であり、新天新地の性質であるということです。それは、聖書の中に殆ど啓示されていない現状の存在とは全く相違するもの。これは、私たちが眼の前に見ることができない現実であり、神とその民との直接的な傷つけられない交わりは、全贖罪の目標です。

ヨハネの黙示録21章1-7節

1) わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。

2) 更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。

3) そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、

4) 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

5) すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。

6) また、わたしに言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。

7) 勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる。

『生ける神との出会い』

2021年07月25日 津村友昭牧師 ヨハネによる福音書4章1-26節

説教の中から

「主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれました。しかし、サマリアを通って行かなければならなかった。」この「通って行かなければならなかった」とは必然です。人間的に見るならば偶然に思えるような事が神の必然です。バルテマイ、またザアカイにも言えます。サマリアの女はいつものように水を汲み、見知らぬ男がいたのです。彼女のすべてを知っておられたのです。イエスの方から彼女の友となろうとしておられます。私たちに同じように近づいておられます。

ヨハネによる福音書4章1-26節

1) さて、イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、洗礼を授けておられるということが、ファリサイ派の人々の耳に入った。イエスはそれを知ると、

2) ――洗礼を授けていたのは、イエス御自身ではなく、弟子たちである――

3) ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた。

4) しかし、サマリアを通らねばならなかった。

5) それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。

6) そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。

7) サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。

8) 弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。

9) すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。

10) イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」

11) 女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。

12) あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」

13) イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。

14) しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

15) 女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」

16) イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、

17) 女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。

18) あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」

19) 女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。

20) わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」

21) イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。

22) あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。

23) しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。

24) 神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」

25) 女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」

26) イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」

『弱さの中で発揮される力』

2021年07月18日 津村一志牧師 コリントへの信徒への手紙Ⅱ12章5-10節

説教の中から

人は「弱さ」を認めたくないものです。なぜなら「弱さ」はネガティブやコンプレックスに思っていることに関係するからです。「弱いことは悪く、強いことが良い」という価値観がそうさせるのでしょう。しかし、聖霊の価値観はそうではありません。「弱さ」の中で働く神の恵みによって逆転のドラマが要されています。私たちの人生にも「弱さ」を誇れる程のドラマが用意されていることを信じていきましょう。

コリントの信徒への手紙Ⅱ12章1-10節

1) わたしは誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださった事について語りましょう。

2) わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。

3) わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。

4) 彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。

5) このような人のことをわたしは誇りましょう。しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。

6) 仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、

7) また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。

8) この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。

9) すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

10) それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

『失われたものを捜す』

2021年07月11日 津村友昭牧師 ルカによる福音書19章1-10節

説教の中から

マルコ伝は全部で16章ですが、その中で11章から16章まで3分の1を越える記事がエルサレムにおいて起こる事を記しています。二人の弟子は自分の服をロバの上に乗せてイエスの座をつくり、多くの人々も今自分が着ている上着を脱いで主イエスの足元に敷きました。野原から葉のついた板を切ってきて道に敷きました。これは主を迎えるしぐさです。イエスはみ顔をエルサレムに向けて進まれました。

ルカによる福音書19章1-10節

1) イエスはエリコに入り、町を通っておられた。

2) そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。

3) イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。

4) それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。

5) イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」

6) ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。

7) これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」

8) しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」

9) イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。

10) 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」

『すべては神のみ手による』

2021年07月04日 津村悦子牧師 ヨハネの黙示録20章1-10節

説教の中から

黙示録は言葉の説明が必要ですから、特に霊的な理解が必要です。故にわからなくても不思議ではありませんが、信仰がレベルアップします。優しい愛の神様だけを求めている人はサタンに負けます。黙示録(20章)は「千年王国」という聖書の中でも独自な言い方をしています。

ヨハネの黙示録20章1-10節

1) わたしはまた、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、天から降って来るのを見た。

2) この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、

3) 底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした。その後で、竜はしばらくの間、解放されるはずである。

4) わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。

5) その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。

6) 第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。

7) この千年が終わると、サタンはその牢から解放され、

8) 地上の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグを惑わそうとして出て行き、彼らを集めて戦わせようとする。その数は海の砂のように多い。

9) 彼らは地上の広い場所に攻め上って行って、聖なる者たちの陣営と、愛された都とを囲んだ。すると、天から火が下って来て、彼らを焼き尽くした。

10) そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。そこにはあの獣と偽預言者がいる。そして、この者どもは昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる。

『喜び躍る信仰』

2021年06月27日 津村友昭牧師 マルコによる福音書10章46-52

説教の中から

マルコ10章49節に「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」という三つの言葉があります。口語訳では「喜べ」と訳されています。英語では「チアーアップ」と書いています。チアーは喜び躍るという言葉で上へ運動で、文字通り躍り上がる喜びです。この「安心しなさい」と盲人に言われた安心の根拠は自分の中にはない、イエス様の中にあるのです。この人は後にイエスの弟子となりました。カトリックの典礼歌「キリエ・エレイソン」はここから「主よあわれみたまえ」が生まれました。

マルコによる福音書10章46-52節

46) 一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人が道端に座って物乞いをしていた。

47) ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。

48) 多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。

49) イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」

50) 盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。

51) イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。

52) そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

『火の炉の中に共におられる主』

2021年06月20日 津村友昭牧師 ダニエル書3章13-30節

説教の中から

この火の炉というのは試練に例えることができます。試練というのは、人間の目から見ると火の炉の中に投げ込まれ、辛い、苦しい、悲しいように見えます。火の炉に投げ込まれることからは救われないでしょう。しかし、この試練という火の炉の中で私たちは救われるのです。

ダニエル書3章13-30節

13) これを聞いたネブカドネツァル王は怒りに燃え、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを連れて来るよう命じ、この三人は王の前に引き出された。

14) 王は彼らに言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、お前たちがわたしの神に仕えず、わたしの建てた金の像を拝まないというのは本当か。

15) 今、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器の音楽が聞こえると同時にひれ伏し、わたしの建てた金の像を拝むつもりでいるなら、それでよい。もしも拝まないなら、直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる。お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか。」

16) シャドラク、メシャク、アベド・ネゴはネブカドネツァル王に答えた。「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。

17) わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。

18) そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」

19) ネブカドネツァル王はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴに対して血相を変えて怒り、炉をいつもの七倍も熱く燃やすように命じた。

20) そして兵士の中でも特に強い者に命じて、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを縛り上げ、燃え盛る炉に投げ込ませた。

21) 彼らは上着、下着、帽子、その他の衣服を着けたまま縛られ、燃え盛る炉に投げ込まれた。

22) 王の命令は厳しく、炉は激しく燃え上がっていたので、噴き出る炎はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴを引いて行った男たちをさえ焼き殺した。

23) シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人は縛られたまま燃え盛る炉の中に落ち込んで行った。

24) 間もなく王は驚きの色を見せ、急に立ち上がり、側近たちに尋ねた。「あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか。」彼らは答えた。「王様、そのとおりでございます。」

25) 王は言った。「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」

26) ネブカドネツァル王は燃え盛る炉の口に近づいて呼びかけた。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、いと高き神に仕える人々よ、出て来なさい。」すると、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは炉の中から出て来た。

27) 総督、執政官、地方長官、王の側近たちは集まって三人を調べたが、火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで火のにおいすらなかった。

28) ネブカドネツァル王は言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。

29) わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない。」

30) こうして王は、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴをバビロン州で高い位につけた。

『唯一の礼拝』

2021年06月13日 津村悦子牧師 ヨハネの黙示録19章5~9節(11~13節)

説教の中から

ここには小羊の婚宴が書かれている。ユダヤ人のメシアの饗宴と思う思想があり、ユダヤ人はメシアが来る時には、神の民は大宴会に招かれると信じて、小羊の饗宴はキリストの来臨に関するものであって、悪の力に対するキリストの勝利に強調点がある。深い意味はメッセージで聞きます。

ヨハネの黙示録19章5-9節(11-13節)

5) また、玉座から声がして、こう言った。「すべて神の僕たちよ、/神を畏れる者たちよ、/小さな者も大きな者も、/わたしたちの神をたたえよ。」

6) わたしはまた、大群衆の声のようなもの、多くの水のとどろきや、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ、/全能者であり、/わたしたちの神である主が王となられた。

7) わたしたちは喜び、大いに喜び、/神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、/花嫁は用意を整えた。

8) 花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。この麻の衣とは、/聖なる者たちの正しい行いである。」

9) それから天使はわたしに、「書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」と言い、また、「これは、神の真実の言葉である」とも言った。

11) そして、わたしは天が開かれているのを見た。すると、見よ、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「誠実」および「真実」と呼ばれて、正義をもって裁き、また戦われる。

12) その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠があった。この方には、自分のほかはだれも知らない名が記されていた。

13) また、血に染まった衣を身にまとっており、その名は「神の言葉」と呼ばれた。

『あなたの賜物は何ですか?』

2021年06月06日 津村一志牧師 ローマの信徒への手紙12章1~8節

説教の中から

イエス様は弟子たちに「わたしを信じる者はわたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる」とおっしゃいました。(ヨハネによる福音書14章12節)私たちは神様が与えてくださる賜物を発見し、用いてキリストの愛を具体的に現わして、神様に栄光を捧げるのであります。今日はその賜物の種類と目的、注意点に焦点をあてながら与えられた賜物を通して実を結び使える人になる道を探りたいと思います。

ローマの信徒への手紙12章1~8節

1) こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。

2) あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。

3) わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。

4) というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、

5) わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。

6) わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、

7) 奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、

8) 勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。

『カインとアベルの信仰』

2021年05月30日 津村友昭牧師 創世記4章1~16節(4章19~22節)

説教の中から

神はアベルの献げ物を祝福し受け入れ、カインの献げ物には目を留められなかったのでしょうか。アベルは心を込めて献げましたが、カインは心を込めないで、おざなりに献げたのです。

〇ある時期、土を耕す者となったカインは、実りを主のもとに献げ物として持ってきた。

〇アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持ってきた。主はアベルとその捧げ物に目を留められた。

創世記4章1~16節(4章19~22節)

1) さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。

2) 彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。

3) 時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。

4) アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、

5) カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。

6) 主はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。

7) もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」

8) カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。

9) 主はカインに言われた。「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」カインは答えた。「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」

10) 主は言われた。「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。

11) 今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。

12) 土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」

13) カインは主に言った。「わたしの罪は重すぎて負いきれません。

14) 今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」

15) 主はカインに言われた。「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。

16) カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。

19) レメクは二人の妻をめとった。一人はアダ、もう一人はツィラといった。

20) アダはヤバルを産んだ。ヤバルは、家畜を飼い天幕に住む者の先祖となった。

21) その弟はユバルといい、竪琴や笛を奏でる者すべての先祖となった。

22) ツィラもまた、トバル・カインを産んだ。彼は青銅や鉄でさまざまの道具を作る者となった。トバル・カインの妹はナアマといった。

『初めの姿の回復』

2021年05月23日 津村友昭牧師 エレミヤ書2章1~13節 
ヨハネによる福音書14章12~24節 使徒言行録2章14~22節

説教の中から

ペンテコステは(聖霊降臨日)です。教会が誕生した日です。信じる群(エクレシア)と共におられます。そして、イエスの弟子として教会から社会・地域、職場、家庭に派遣されていきます。

ペンテコステに聖霊が与えられた事はアダムとイブが罪を犯したことによって、神の霊が去り、悪魔が父となってしまい、神の霊が取り去られてしまったのです。その初めの姿の回復です。そして、キリストの血によりサタンから買い戻されて神が父であり、信じる者は子とされました。

エレミヤ書2章1~13節

1) 主の言葉がわたしに臨んだ。

2) 行って、エルサレムの人々に呼びかけ/耳を傾けさせよ。主はこう言われる。わたしは、あなたの若いときの真心/花嫁のときの愛/種蒔かれぬ地、荒れ野での従順を思い起こす。

3) イスラエルは主にささげられたもの/収穫の初穂であった。それを食べる者はみな罰せられ/災いを被った、と主は言われる。

4) ヤコブの家よ/イスラエルの家のすべての部族よ/主の言葉を聞け。

5) 主はこう言われる。お前たちの先祖は/わたしにどんなおちどがあったので/遠く離れて行ったのか。彼らは空しいものの後を追い/空しいものとなってしまった。

6) 彼らは尋ねもしなかった。「主はどこにおられるのか/わたしたちをエジプトの地から上らせ/あの荒野、荒涼とした、穴だらけの地/乾ききった、暗黒の地/だれひとりそこを通らず/人の住まない地に導かれた方は」と。

7) わたしは、お前たちを実り豊かな地に導き/味の良い果物を食べさせた。ところが、お前たちはわたしの土地に入ると/そこを汚し/わたしが与えた土地を忌まわしいものに変えた。

8) 祭司たちも尋ねなかった。「主はどこにおられるのか」と。律法を教える人たちはわたしを理解せず/指導者たちはわたしに背き/預言者たちはバアルによって預言し/助けにならぬものの後を追った。

9) それゆえ、わたしはお前たちを/あらためて告発し/また、お前たちの子孫と争うと/主は言われる。

10) キティムの島々に渡って、尋ね/ケダルに人を送って、よく調べさせ/果たして、こんなことがあったかどうか確かめよ。

11) 一体、どこの国が/神々を取り替えたことがあろうか/しかも、神でないものと。ところが、わが民はおのが栄光を/助けにならぬものと取り替えた。

12) 天よ、驚け、このことを/大いに、震えおののけ、と主は言われる。

13) まことに、わが民は二つの悪を行った。生ける水の源であるわたしを捨てて/無用の水溜めを掘った。水をためることのできない/こわれた水溜めを。

使徒言行録2章14~22節

14) すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。

15) 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。

16) そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。

17) 『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。

18) わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。

19) 上では、天に不思議な業を、/下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。

20) 主の偉大な輝かしい日が来る前に、/太陽は暗くなり、/月は血のように赤くなる。

21) 主の名を呼び求める者は皆、救われる。』

22) イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。

ヨハネによる福音書14章12~24節

12) はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。

13) わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。

14) わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」

15) 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。

16) わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。

17) この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。

18) わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。

19) しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。

20) かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。

21) わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」

22) イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。

23) イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。

24) わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。

『主をほめたたえよ』

2021年05月16日 津村悦子牧師 ヨハネの黙示録19章1~10節

説教の中から

地上の審判は、18章をもって終わりを告げています。次は、小羊の婚姻がその中心をなしています。黙示録は審判の書のように見えて、実は救贖の書です。神の愛の現実を語っています。黙示録の教えを多くの人は何故、毛嫌いをするのか、食わず嫌いであったかと言えます。これからは天にある悪の霊をキリストが審かれます。

ヨハネの黙示録19章1~10節

1) その後、わたしは、大群衆の大声のようなものが、天でこう言うのを聞いた。「ハレルヤ。救いと栄光と力とは、わたしたちの神のもの。

2) その裁きは真実で正しいからである。みだらな行いで/地上を堕落させたあの大淫婦を裁き、/御自分の僕たちの流した血の復讐を、/彼女になさったからである。」

3) また、こうも言った。「ハレルヤ。大淫婦が焼かれる煙は、世々限りなく立ち上る。」

4) そこで、二十四人の長老と四つの生き物とはひれ伏して、玉座に座っておられる神を礼拝して言った。「アーメン、ハレルヤ。」

5) また、玉座から声がして、こう言った。「すべて神の僕たちよ、/神を畏れる者たちよ、/小さな者も大きな者も、/わたしたちの神をたたえよ。」

6) わたしはまた、大群衆の声のようなもの、多くの水のとどろきや、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ、/全能者であり、/わたしたちの神である主が王となられた。

7) わたしたちは喜び、大いに喜び、/神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、/花嫁は用意を整えた。

8) 花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。この麻の衣とは、/聖なる者たちの正しい行いである。」

9) それから天使はわたしに、「書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」と言い、また、「これは、神の真実の言葉である」とも言った。

10) わたしは天使を拝もうとしてその足もとにひれ伏した。すると、天使はわたしにこう言った。「やめよ。わたしは、あなたやイエスの証しを守っているあなたの兄弟たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。イエスの証しは預言の霊なのだ。」

『信仰の勇者』

2021年05月09日 津村友昭牧師 創世記11章1~9節 使徒言行録2章1~12節

説教の中から

3つの出会いがあります。

  1. 地上に来られた、誕生されたイエス・キリストとの出会い、また人間の罪を背負って十字架で死なれたイエス。
  2. 十字架上で死んで、3日目に死人より蘇られた復活のイエスとの出会い。
  3. 復活40日後に昇天され、50日目に聖霊を降された、聖霊なるイエスとの出会い。

弟子たちはこのペンテコステに聖霊を受けて、本当の信仰の勇者となったのです。

創世記11章1~9節

1) 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。

2) 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。

3) 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。

4) 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。

5) 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、

6) 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。

7) 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」

8) 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。

9) こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉

使徒言行録2章1~12節

1) 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、

2) 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。

3) そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。

4) すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

5) さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、

6) この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。

7) 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。

8) どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。

9) わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、

10) フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、

11) ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

12) 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。

『キリストを着る』

2021年05月02日 津村友昭牧師 ガラテヤ書3章23~29節

説教の中から

アダムとエバが罪を犯すと自分たちが裸であることに気が付いてイチジクの葉をつづり合わせました。神はエデンから追放するにあたって羊の皮の着物を着せました。罪をどのようにして取り除かれたのかについて御言葉より聞きます。

ガラテヤ書3章23~29節

23) 信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。

24) こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。

25) しかし、信仰が現れたので、もはや、わたしたちはこのような養育係の下にはいません。

26) あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。

27) 洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。

28) そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。

29) あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。

『復活を信じますか』

2021年04月25日 津村一志牧師 ヨハネによる福音書11章1~27節

説教の中から

主イエスがご障害の中で行った奇跡の中で、最大の奇跡といえるのは、ラザロの復活であろう。このことによって、多くのユダヤ人がイエスを信じて従ったからである。反対者のイエスに対する殺意も、決定的になった。しかし、この出来事の中に復活の真理が示されている。そのことを探っていきたいと思う。

ヨハネによる福音書11章1~27節

1) ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。

2) このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。

3) 姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。

4) イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」

5) イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。

6) ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。

7) それから、弟子たちに言われた。「もう一度、ユダヤに行こう。」

8) 弟子たちは言った。「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか。」

9) イエスはお答えになった。「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。

10) しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」

11) こうお話しになり、また、その後で言われた。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」

12) 弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。

13) イエスはラザロの死について話されたのだが、弟子たちは、ただ眠りについて話されたものと思ったのである。

14) そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。

15) わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」

16) すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。

17) さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。

18) ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどのところにあった。

19) マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。

20) マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。

21) マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。

22) しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」

23) イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、

24) マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。

25) イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。

26) 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」

27) マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」

『神が作ったみ衣』

2021年04月18日 津村友昭牧師 創世記3章8~24節

説教の中から

人間が罪を犯す、それは神の言葉に不従順から始まりました。そして悪の目が開け裸であることを知り、そしてその恥を隠しました。神は罪のない方、人間は罪人。一緒にいる事が出来なくなったのです。神は人間が滅んでしまうから、その光の届かない地へと追放されました。そして二人に皮の衣を作って着せられました。その衣は何の動物でしょうか。人の罪をあがなう為にキリストが来られたことを最初に書き記しました。キリストによって罪が許され今度は神は彼らに白い衣を与えられました。

創世記3章8~24節

8) その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、

9) 主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」

10) 彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」

11) 神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」

12) アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」

13) 主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」

14) 主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は/あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で/呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。

15) お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」

16) 神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め/彼はお前を支配する。」

17) 神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。

18) お前に対して/土は茨とあざみを生えいでさせる/野の草を食べようとするお前に。

19) お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」

20) アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。

21) 主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。

22) 主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」

23) 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。

24) こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。

『神は正しく真実である』

2021年04月11日 津村悦子牧師
ヨハネの黙示録16章15~20節 (ハルマゲドンの戦い)

説教の中から

黙示録を学んで、いよいよ16章に入りました。ハルマゲドンの意味を少し触れます。

この書を通して一環している言葉は「真実」という言葉です。それが神の審判の基準になっています。「神の道は正しく真実である」真実という言葉は決して抽象的ではない。信仰は理論ではなく、実感の世界です。喜びの世界を味わいましょう。

ヨハネの黙示録16章15~20節

15) ――見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩くのを見られて恥をかかないように、目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いである。――

16) 汚れた霊どもは、ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所に、王たちを集めた。

17) 第七の天使が、その鉢の中身を空中に注ぐと、神殿の玉座から大声が聞こえ、「事は成就した」と言った。

18) そして、稲妻、さまざまな音、雷が起こり、また、大きな地震が起きた。それは、人間が地上に現れて以来、いまだかつてなかったほどの大地震であった。

19) あの大きな都が三つに引き裂かれ、諸国の民の方々の町が倒れた。神は大バビロンを思い出して、御自分の激しい怒りのぶどう酒の杯をこれにお与えになった。

20) すべての島は逃げ去り、山々も消えうせた。

『絶望から希望』

2021年04月04日 津村友昭牧師 ルカによる福音書24章13~35節

説教の中から

イエスに従った人々はイエスがメシアであり、世の変革をしてくれるであろうと期待していましたが十字架にかかって死ぬと言われたとき、ユダは死んだら終わりであると思っていたのでイエスを裏切った。他の弟子たちは失望してエルサレムから田舎道へと下って行った。その下り道、イエスが近づいて来られたのです。道々聖書を説き明かして下さり聖餐のパンを裂く時、心の目が開かれてイエスだとわかり再びエルサレムへ登って行った。絶望から希望への歩みをしたのである。

ルカによる福音書24章13~35節

13) ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、

14) この一切の出来事について話し合っていた。

15) 話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。

16) しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。

17) イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。

18) その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」

19) イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。

20) それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。

21) わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。

22) ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、

23) 遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。

24) 仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」

25) そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、

26) メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」

27) そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。

28) 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。

29) 二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。

30) 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。

31) すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。

32) 二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。

33) そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、

34) 本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。

35) 二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。

『イエスが苦しんだ理由』

2021年03月28日 津村一志牧師 マルコによる福音書10章32~34節

説教の中から

イエスは裁判と拷問、十字架に至るまで最もひどい苦しみにあわれました。肉体的、精神的、霊的苦しみが全部イエスに臨みました。

メシア(キリスト)が苦しむことは預言されていました。(イザヤ書53章、詩編22編14~19節)がこれほどに神の独り子なるお方が苦しまなければならなかった理由とは何なのか。一緒に考えてさぐりたいと思います。

マルコによる福音書10章32~34節

32) 一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。イエスは再び十二人を呼び寄せて、自分の身に起ころうとしていることを話し始められた。

33) 「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。

34) 異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する。」

『新しいスタイルの信仰』

2021年03月21日 津村友昭牧師
マタイによる福音書7章24~29節(9章14~17節)

説教の中から

「新しいブドウ酒は新しい革袋に入れる」

新しいブドウ酒はイエス・キリストが伝えて下さった「神の国の福音」です。一人一人が神の目から見て「かけがえのない貴い存在です」神の国の福音は発酵を始める新しいブドウ酒として表現されています。新しいブドウ酒は活き活きと発酵をし続けます。福音の言葉も生き生きと働き続けていきます。それを入れる新しい皮袋が必要です。心の深みまで新しくして下さいと祈ります。

マタイによる福音書7章24節~29節

24) 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。

25) 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。

26) わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。

27) 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」

28) イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。

29) 彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

マタイによる福音書9章14~17節

14) そのころ、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、「わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」と言った。

15) イエスは言われた。「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる。

16) だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。

17) 新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」

『神と結ばれるには』

2021年03月14日 津村友昭牧師 ヨハネによる福音書15章1節~17節

説教の中から

主イエスは「わたしにつながっていなさい」と言われました。わたしにつながっているものは父とつながっているとも言われました。

つながるとは、「つぎ木される」と言っています。私たちは主イエスを「私の救い主」であると信じます。それはその信仰がキリストに結び伝わされるのです。「神秘的結合」です。

つながって生きるとは、

  1. キリストの言葉がいつもわたしの内にある。キリストの愛・徳があり謙遜な魂とされる。
  2. キリストの愛がとどまりつづけること。理性(肉体)、精神(心)、内面(魂)に根付く事。それは「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くす(マタイ22:37)」です。

ヨハネによる福音書15章1節~17節

1) 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。

2) わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。

3) わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。

4) わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。

5) わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。

6) わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。

7) あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。

8) あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。

9) 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。

10) わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。

11) これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。

12) わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。

13) 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

14) わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。

15) もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。

16) あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。

17) 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

『魂の刈り入れ時』

2021年03月07日 津村悦子牧師 ヨハネの黙示録15章(14章14節~20節)

説教の中から

ヨハネは二つのことを語っている。

  1. 穀物の刈り入れであり、正しい者を救いに入れるに関しての終末的審判である。
  2. 神の怒りの収穫である。
    悪い者に罪の宣言をすることを語っている。

マタイによる福音書13章40節からこれは、キリストと反キリストの間に起こる最後の霊的闘争である。

黙示録では、収穫は最後の審判の象徴としている。

ヨハネの黙示録15章

1) わたしはまた、天にもう一つの大きな驚くべきしるしを見た。七人の天使が最後の七つの災いを携えていた。これらの災いで、神の怒りがその極みに達するのである。

2) わたしはまた、火が混じったガラスの海のようなものを見た。更に、獣に勝ち、その像に勝ち、またその名の数字に勝った者たちを見た。彼らは神の竪琴を手にして、このガラスの海の岸に立っていた。

3) 彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とをうたった。「全能者である神、主よ、/あなたの業は偉大で、/驚くべきもの。諸国の民の王よ、/あなたの道は正しく、また、真実なもの。

4) 主よ、だれがあなたの名を畏れず、/たたえずにおられましょうか。聖なる方は、あなただけ。すべての国民が、来て、/あなたの前にひれ伏すでしょう。あなたの正しい裁きが、/明らかになったからです。」

5) この後、わたしが見ていると、天にある証しの幕屋の神殿が開かれた。

6) そして、この神殿から、七つの災いを携えた七人の天使が出て来た。天使たちは、輝く清い亜麻布の衣を着て、胸に金の帯を締めていた。

7) そして、四つの生き物の中の一つが、世々限りなく生きておられる神の怒りが盛られた七つの金の鉢を、この七人の天使に渡した。

8) この神殿は、神の栄光とその力とから立ち上る煙で満たされ、七人の天使の七つの災いが終わるまでは、だれも神殿の中に入ることができなかった。

ヨハネの黙示録14章14節~20節

14) また、わたしが見ていると、見よ、白い雲が現れて、人の子のような方がその雲の上に座っており、頭には金の冠をかぶり、手には鋭い鎌を持っておられた。

15) すると、別の天使が神殿から出て来て、雲の上に座っておられる方に向かって大声で叫んだ。「鎌を入れて、刈り取ってください。刈り入れの時が来ました。地上の穀物は実っています。」

16) そこで、雲の上に座っておられる方が、地に鎌を投げると、地上では刈り入れが行われた。

17) また、別の天使が天にある神殿から出て来たが、この天使も手に鋭い鎌を持っていた。

18) すると、祭壇のところから、火をつかさどる権威を持つ別の天使が出て来て、鋭い鎌を持つ天使に大声でこう言った。「その鋭い鎌を入れて、地上のぶどうの房を取り入れよ。ぶどうの実は既に熟している。」

19) そこで、その天使は、地に鎌を投げ入れて地上のぶどうを取り入れ、これを神の怒りの大きな搾り桶に投げ入れた。

20) 搾り桶は、都の外で踏まれた。すると、血が搾り桶から流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンにわたって広がった。

『自分が嫌いなあなたへ』

2021年02月28日 津村一志牧師 マルコによる福音書12章29節~31節

説教の中から

あなたは自分のことが好きですか!それとも嫌いですか!

あるいは、順調に何もかもうまくやれる自分は好きですか!ふがいない自分は嫌いですか!

好きな自分も、嫌いな自分も自分です。それを大きな愛でうけとめていくことができた時、何かが変わっていくのではないでしょうか?聖書は完全な愛は恐れを締め出すといいます。この大きな愛につつまれていくならば、ダメな自分、嫌いな自分に対しての和解がなされて、ありのままの自分を認めることができるようになります。それだけではありません。あらゆる領域に和解がなされるようになるのです。

マルコによる福音書12章29節~31節

29) イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。

30) 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』

31) 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」

『神の名を求めた人』

2021年02月21日 津村友昭牧師
創世記32章23節~32節、使徒言行録22章1節~11節

説教の中から

旧約聖書で神の名は何というのか。あまりにも大切にしたのでヤーハウェ、エホバ、アドナイ等、たくさん言われるがはっきりわからない。ヤコブにも神の名を知らされなかった。モーセが求めたとき「わたしはあってある者」と言われた。新約聖書ではマリヤに「イエス」と名付けなさいと言われた。ダマスコ途上で「主よあなたはどなたですか」と尋ねると「わたしはあなたが迫害しているナザレのイエスである」と天上から答えておられる(使徒言行録22:8)

創世記32章23節~32節

23) その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。

24) 皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、

25) ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。

26) ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。

27) 「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」

28) 「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、

29) その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」

30) 「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。

31) ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。

32) ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。

33) こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。

使徒言行録22章1節~11節

1) 「兄弟であり父である皆さん、これから申し上げる弁明を聞いてください。」

2) パウロがヘブライ語で話すのを聞いて、人々はますます静かになった。パウロは言った。

3) 「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。

4) わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。

5) このことについては、大祭司も長老会全体も、わたしのために証言してくれます。実は、この人たちからダマスコにいる同志にあてた手紙までもらい、その地にいる者たちを縛り上げ、エルサレムへ連行して処罰するために出かけて行ったのです。」

6) 「旅を続けてダマスコに近づいたときのこと、真昼ごろ、突然、天から強い光がわたしの周りを照らしました。

7) わたしは地面に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と言う声を聞いたのです。

8) 『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました。

9) 一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした。

10) 『主よ、どうしたらよいでしょうか』と申しますと、主は、『立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる』と言われました。

11) わたしは、その光の輝きのために目が見えなくなっていましたので、一緒にいた人たちに手を引かれて、ダマスコに入りました。

『ヤコブの家の信仰の確立』

2021年02月14日 津村友昭牧師 創世記35章1節~15節

説教の中から

ヤコブは一人父の家を後にしてベテルで疲れた身体を休めた。そこにも主があらわれた事を発見し、そこを神の家ベテルと名付けた。その神を慕いつつ20年過ごしヤコブの川のほとりで神と再び会い「わたしを祝福して下さい」と祈り続けた。やがてヤコブという名前がイスラエルと改名された。しかしヤコブの一族の信仰の一致が弱かったのでディナの事件を通して一族の信仰が一致されるように再びベテルに一族で行き、信仰のヤコブ家の一致の中心について教えた。

創世記35章1節~15節

1) 神はヤコブに言われた。「さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてその地に、あなたが兄エサウを避けて逃げて行ったとき、あなたに現れた神のための祭壇を造りなさい。」

2) ヤコブは、家族の者や一緒にいるすべての人々に言った。「お前たちが身に着けている外国の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい。

3) さあ、これからベテルに上ろう。わたしはその地に、苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神のために祭壇を造る。」

4) 人々は、持っていた外国のすべての神々と、着けていた耳飾りをヤコブに渡したので、ヤコブはそれらをシケムの近くにある樫の木の下に埋めた。

5) こうして一同は出発したが、神が周囲の町々を恐れさせたので、ヤコブの息子たちを追跡する者はなかった。

6) ヤコブはやがて、一族の者すべてと共に、カナン地方のルズ、すなわちベテルに着き、

7) そこに祭壇を築いて、その場所をエル・ベテルと名付けた。兄を避けて逃げて行ったとき、神がそこでヤコブに現れたからである。

8) リベカの乳母デボラが死に、ベテルの下手にある樫の木の下に葬られた。そこで、その名はアロン・バクト(嘆きの樫の木)と呼ばれるようになった。

9) ヤコブがパダン・アラムから帰って来たとき、神は再びヤコブに現れて彼を祝福された。

10) 神は彼に言われた。「あなたの名はヤコブである。しかし、あなたの名はもはやヤコブと呼ばれない。イスラエルがあなたの名となる。」神はこうして、彼をイスラエルと名付けられた。

11) 神は、また彼に言われた。「わたしは全能の神である。産めよ、増えよ。あなたから/一つの国民、いや多くの国民の群れが起こり/あなたの腰から王たちが出る。

12) わたしは、アブラハムとイサクに与えた土地を/あなたに与える。また、あなたに続く子孫にこの土地を与える。」

13) 神はヤコブと語られた場所を離れて昇って行かれた。

14) ヤコブは、神が自分と語られた場所に記念碑を立てた。それは石の柱で、彼はその上にぶどう酒を注ぎかけ、また油を注いだ。

15) そしてヤコブは、神が自分と語られた場所をベテルと名付けた。

『古くならない新しい歌』

2021年02月07日 津村悦子牧師 ヨハネの黙示録14章1節~5節

説教の中から

この新しい歌は心から信じた贖われた人だけが歌うことができる歌であると黙示録は語っています。

「見よ。世の罪を取り除く神の子羊だ。(ヨハネ1:29)」権利や暴力とは全く縁のない柔和な子羊。穢れなき血を流し、自己犠牲の愛を通して罪人(私たち)を救った子羊に感謝します。

私たちは、その神や人の前に従順になりたいと思います。

ヨハネの黙示録14章1節~5節

1) また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に十四万四千人の者たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた。

2) わたしは、大水のとどろくような音、また激しい雷のような音が天から響くのを聞いた。わたしが聞いたその音は、琴を弾く者たちが竪琴を弾いているようであった。

3) 彼らは、玉座の前、また四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌のたぐいをうたった。この歌は、地上から贖われた十四万四千人の者たちのほかは、覚えることができなかった。

4) 彼らは、女に触れて身を汚したことのない者である。彼らは童貞だからである。この者たちは、小羊の行くところへは、どこへでも従って行く。この者たちは、神と小羊に献げられる初穂として、人々の中から贖われた者たちで、

5) その口には偽りがなく、とがめられるところのない者たちである。

『恐れを乗り越える』

2021年01月31日 津村友昭牧師 創世記32章23節~32節

説教の中から

ヤコブは出発の時、ベテルで聖霊体験をしました。そして、「ここに主がおられるのに知らなかった。」と言って、ベテルと名付けました。帰路、ヤボク川を渡るにあたって、恐れが生じ祈りました。そこで天使と相撲を取ったのです。「あなたが私を祝福してくださらなければ、私は離しません。」と言いました。そこで、その場所を『ペヌエル』と呼びました。ヤコブに天使が答えて言います。『イスラエル』第二回の聖霊体験です。

創世記32章23節~32節

23) その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。

24) 皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、

25) ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。

26) ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。

27) 「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」

28) 「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、

29) その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」

30) 「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。

31) ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。

32) ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。

『畏怖と恐怖』

2021年01月24日 津村一志牧師 詩編25編1節~22節

説教の中から

私たちは「恐怖」と「畏怖」の区別がついているでしょうか。
「恐怖」は「こわい」「おそろしい」「逃げ出したい」という危険を感じるときに抱く思いであり、
「畏怖」は何か偉大なもの、人間を超えた聖なるものに触れて、経緯を払うといったときに抱く思いではないかと思います。
聖書は全体を通して"神を畏れよ"と述べています。

神様を畏れて歩んだ人を通して私たちも主を畏れて生きていくものでありたいと願います。

詩編25 1節~22節

1) 【ダビデの詩。】主よ、わたしの魂はあなたを仰ぎ望み

2) わたしの神よ、あなたに依り頼みます。どうか、わたしが恥を受けることのないように/敵が誇ることのないようにしてください。

3) あなたに望みをおく者はだれも/決して恥を受けることはありません。いたずらに人を欺く者が恥を受けるのです。

4) 主よ、あなたの道をわたしに示し/あなたに従う道を教えてください。

5) あなたのまことにわたしを導いてください。教えてください/あなたはわたしを救ってくださる神。絶えることなくあなたに望みをおいています。

6) 主よ思い起こしてください/あなたのとこしえの憐れみと慈しみを。

7) わたしの若いときの罪と背きは思い起こさず/慈しみ深く、御恵みのために/主よ、わたしを御心に留めてください。

8) 主は恵み深く正しくいまし/罪人に道を示してくださいます。

9) 裁きをして貧しい人を導き/主の道を貧しい人に教えてくださいます。

10) その契約と定めを守る人にとって/主の道はすべて、慈しみとまこと。

11) 主よ、あなたの御名のために/罪深いわたしをお赦しください。

12) 主を畏れる人は誰か。主はその人に選ぶべき道を示されるであろう。

13) その人は恵みに満たされて宿り/子孫は地を継ぐであろう。

14) 主を畏れる人に/主は契約の奥義を悟らせてくださる。

15) わたしはいつも主に目を注いでいます。わたしの足を網から引き出してくださる方に。

16) 御顔を向けて、わたしを憐れんでください。わたしは貧しく、孤独です。

17) 悩む心を解き放ち/痛みからわたしを引き出してください。

18) 御覧ください、わたしの貧しさと労苦を。どうかわたしの罪を取り除いてください。

19) 御覧ください、敵は増えて行くばかりです。わたしを憎み、不法を仕掛けます。

20) 御もとに身を寄せます。わたしの魂を守り、わたしを助け出し/恥を受けることのないようにしてください。

21) あなたに望みをおき、無垢でまっすぐなら/そのことがわたしを守ってくれるでしょう。

22) 神よ、イスラエルを/すべての苦難から贖ってください。

『苦難は希望の谷を意味する』

2021年01月17日 ヨハネの黙示録13章6節~15節 津村悦子牧師

説教の中から

終末的事態での苦難は、サタンが天上から地上に落とされ、大きな怒りをもって地上に戦いを挑んでいる。

私たちは、

  1. 先ず、天を見上げること
  2. 地上界を見ること
  3. サタンの支配する現実をよくみること

それは、自分自身をよく見つめることであると言える。

苦難は希望の谷を作ると言える。

ヨハネの黙示録13章6節~15節

6) そこで、獣は口を開いて神を冒瀆し、神の名と神の幕屋、天に住む者たちを冒瀆した。

7) 獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され、また、あらゆる種族、民族、言葉の違う民、国民を支配する権威が与えられた。

8) 地上に住む者で、天地創造の時から、屠られた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう。

9) 耳ある者は、聞け。

10) 捕らわれるべき者は、/捕らわれて行く。剣で殺されるべき者は、/剣で殺される。ここに、聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である。

11) わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた。

12) この獣は、先の獣が持っていたすべての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。

13) そして、大きなしるしを行って、人々の前で天から地上へ火を降らせた。

14) 更に、先の獣の前で行うことを許されたしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣で傷を負ったがなお生きている先の獣の像を造るように、地上に住む人に命じた。

15) 第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。

『新年の決意』

2021年01月10日 創世記28章10節~17節 津村友昭牧師

説教の中から

2021年私たちは執り成し年となるように使命と自覚が与えられるように祈ります。天と地がつながっていることをヨハネ黙示録から聞きました。コロナが東京都1300人超から始まった年。キリスト者の祈りに国の運命がかかっています。毎日1時間の祈りを徹底するように。

ヤコブは地石だらけのベテルで神に出会いました。この所に神がおられる事を知りませんでした。生ける神に出会い、そして決意しました。人生で必ず10分の1ははあなたに捧げますと。それから祝福されたのです。

創世記28章10節~17節

10) ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。

11) とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。

12) すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。

13) 見よ、主が傍らに立って言われた。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。

14) あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。

15) 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」

16) ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」

17) そして、恐れおののいて言った。「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」

『将来と希望を与える神』

2021年01月03日 エレミヤ書29章1節~15節 津村友昭牧師

説教の中から

新しい年が与えられたことを感謝します。感謝する心、聖霊充満の中心です。それは赦す心、他者を愛する心、聖霊論的思考の中心です。

感謝の後に悔い改めましょう。今年こそ、旧年出来なかった心に新しい力を受けて前進しましょう。そのためにすべきことは第一に謙遜です。モーセは足から靴を脱いだ後、何を求められたでしょうか。全焼のいけにえです。み言葉から古いものをすべて焼き尽くして新しくされましょう。

エレミヤ書29章1節~15節

1) 以下に記すのは、ネブカドネツァルがエルサレムからバビロンへ捕囚として連れて行った長老、祭司、預言者たち、および民のすべてに、預言者エレミヤがエルサレムから書き送った手紙の文面である。

2) それは、エコンヤ王、太后、宦官、ユダとエルサレムの高官、工匠と鍛冶とがエルサレムを去った後のことである。

3) この手紙は、ユダの王ゼデキヤが、バビロンの王ネブカドネツァルのもとに派遣したシャファンの子エルアサとヒルキヤの子ゲマルヤに託された。

4) 「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、エルサレムからバビロンへ捕囚として送ったすべての者に告げる。

5) 家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。

6) 妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。

7) わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。

8) イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたたちのところにいる預言者や占い師たちにだまされてはならない。彼らの見た夢に従ってはならない。

9) 彼らは、わたしの名を使って偽りの預言をしているからである。わたしは、彼らを遣わしてはいない、と主は言われる。

10) 主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。

11) わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。

12) そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。

13) わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、

14) わたしに出会うであろう、と主は言われる。わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。

15) あなたたちは、『主が我々のために、バビロンでも預言者を立ててくださった』と言っている。

『疫病も終末のしるしか?』

2020年12月27日 ルカによる福音書21章5節~19節 津村一志牧師

説教の中から

コロナウイルスによって今までとは違ったクリスマスを迎えたように、今までとは違った年末年始を迎えようとしています。当然、私たちの意識も今までとは違った思いをもって歩むことが求められています。

それは主が再臨される備えです。このコロナ禍はそのような備えを促しているように思えます。

主が来られるときにどのようなことが起きると聖書は語っているのか、調べながら備えていく私たちでありたいと思います。

ルカによる福音書21章5節~19節

5) ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。

6)「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」

7) そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」

8) イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。

9) 戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」

10) そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。

11) そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。

12) しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。

13) それはあなたがたにとって証しをする機会となる。

14) だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。

15) どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。

16) あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。

17) また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。

18) しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。

19) 忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

『明るいニュース』

2020年12月24日 クリスマスイブ礼拝 ヨハネによる福音書1章1節~13節 津村一志牧師

説教の中から

ヨハネによる福音書1章1節~13節

1) 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

2) この言は、初めに神と共にあった。

3) 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

5) 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

4) 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。

6) 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。

7) 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。

8) 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。

9) その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

10) 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。

11) 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。

12) しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。

13) この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。

『光の灯台』

2020年12月20日 創世記1章1節~5節 津村友昭牧師

創世記1章1節~5節

1) 初めに、神は天地を創造された。

2) 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。

3) 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。

4) 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、

5) 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。

『キリストは2回来られる』

2020年12月13日 ヘブライ人への手紙9章23節~28節 津村一志牧師

説教の中から

今日のこの箇所には、イエスキリストが2回現れてくださるということが書かれています。

1回目に来てくださった目的は私たちの罪を取り除くためにご自身を十字架にかけてあがなうためでした。

2回目に来てくださる目的は主イエスを信じてあがなわれた者たちをこの世から救うために来られるというのです。これを「携挙」といいます。しかも、これを経験できるのは、1回目の現れによって罪許された者に限られるというのです。

改めて、主イエスキリストを信じることの意味と大きさをこのアドベントに考えてみたいと思います。

ヘブライ人への手紙9章23節~28節

23) このように、天にあるものの写しは、これらのものによって清められねばならないのですが、天にあるもの自体は、これらよりもまさったいけにえによって、清められねばなりません。

24) なぜならキリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださったからです。

25) また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自身をお献げになるためではありません。

26) もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。

27) また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、

28) キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。

『生命の源であるキリストとマリア』

2020年12月06日
ヨハネの黙示録12章、マタイによる福音書1章21節~22節
津村悦子牧師

説教の中から

天と地とは、つながっています。故に、この地上で起こっていることだけが唯一の現実ではないことを示しています。私たちの過去も、現在も、将来も神はみなご存知なのです。

古代の天体崇拝では、身分の高い「天の女神」の表現がありました。

この女性と男の子の誕生はどのような関係があるのでしょうか。旧・新約聖書から見てみましょう

マタイによる福音書 1章21節~22節

21) マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

22) このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

ヨハネの黙示録 12章

1) また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。

2) 女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。

3) また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。

4) 竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。

5) 女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。

6) 女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。

7) さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、

8) 勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。

9) この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。

10) わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟たちを告発する者、/昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、/投げ落とされたからである。

11) 兄弟たちは、小羊の血と/自分たちの証しの言葉とで、/彼に打ち勝った。彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。

12) このゆえに、もろもろの天と、/その中に住む者たちよ、喜べ。地と海とは不幸である。悪魔は怒りに燃えて、/お前たちのところへ降って行った。残された時が少ないのを知ったからである。」

13) 竜は、自分が地上へ投げ落とされたと分かると、男の子を産んだ女の後を追った。

14) しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒れ野にある自分の場所へ飛んで行くためである。女はここで、蛇から逃れて、一年、その後二年、またその後半年の間、養われることになっていた。

15) 蛇は、口から川のように水を女の後ろに吐き出して、女を押し流そうとした。

16) しかし、大地は女を助け、口を開けて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。

17) 竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った。

18) そして、竜は海辺の砂の上に立った。

『喜びの待望』

2020年11月29日 イザヤ書9章1節~6節 津村友昭牧師

説教の中から

アドベント第一主日が、教会歴の元旦に当たります。新しい希望をもって前進しましょう。

イザヤは数百年前より、独りのみどり子が与えられた(救い主が生まれた)と、喜びを語っています。未来完了形が使われています。「生まれるであろう」を「生まれた」と表現しています。この信仰をもって新しくされていきましょう。

イザヤ書 8章1節~13節

1) ユダの王ウジヤの孫であり、ヨタムの子であるアハズの治世のことである。アラムの王レツィンとレマルヤの子、イスラエルの王ペカが、エルサレムを攻めるため上って来たが、攻撃を仕掛けることはできなかった。

2) しかし、アラムがエフライムと同盟したという知らせは、ダビデの家に伝えられ、王の心も民の心も、森の木々が風に揺れ動くように動揺した。

3) 主はイザヤに言われた。「あなたは息子のシェアル・ヤシュブと共に出て行って、布さらしの野に至る大通りに沿う、上貯水池からの水路の外れでアハズに会い、

4) 彼に言いなさい。落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。アラムを率いるレツィンとレマルヤの子が激しても、この二つの燃え残ってくすぶる切り株のゆえに心を弱くしてはならない。

5) アラムがエフライムとレマルヤの子を語らって、あなたに対して災いを謀り、

6) 『ユダに攻め上って脅かし、我々に従わせ、タベアルの子をそこに王として即位させよう』と言っているが、

7) 主なる神はこう言われる。それは実現せず、成就しない。

8) アラムの頭はダマスコ、ダマスコの頭はレツィン。(六十五年たてばエフライムの民は消滅する)

9) エフライムの頭はサマリア/サマリアの頭はレマルヤの子。信じなければ、あなたがたは確かにされない。」

10) 主は更にアハズに向かって言われた。

11) 「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」

12) しかし、アハズは言った。「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」

13) イザヤは言った。「ダビデの家よ聞け。あなたたちは人間に/もどかしい思いをさせるだけでは足りず/わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。

イザヤ書9章1節~6節

1) 闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。

2) あなたは深い喜びと/大きな楽しみをお与えになり/人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように/戦利品を分け合って楽しむように。

3) 彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を/あなたはミディアンの日のように/折ってくださった。

4) 地を踏み鳴らした兵士の靴/血にまみれた軍服はことごとく/火に投げ込まれ、焼き尽くされた。

5) ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。

6) ダビデの王座とその王国に権威は増し/平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって/今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

日本聖書協会 新共同訳聖書より引用

『預言者の祈り』

2020年11月22日 イザヤ書38章1節~8節 津村友昭牧師

説教の中から

  • ヒゼキヤは38歳の働き盛りで病気にかかりました。北イスラエルが滅亡したのは紀元前721年です。彼が小国ユダの存亡をかけて働いていた時です。
  • 死の宣告「あなたの家を整理せよ」あなたは死ぬ。治らない。
  • 私たちも死に備えよというこの事を他人事と考えてはなりません。
  • ヒゼキヤの祈り、そして神に向かって「壁に向かって祈った」集中して神に祈った。ユダは危機にある国のため、神の栄光のために祈った。
  • 神はヒゼキヤの祈りに感動された。

イザヤ書 37章33節~38節

33) それゆえ、主はアッシリアの王についてこう言われる。/彼がこの都に入ることはなく/彼がこの都に矢を射ることも/盾をかざして立ち向かうことも/この都に向かって塁を築くこともない。

34) 彼は元来た道を引き返し/この都に入ることはない――主の仰せ。

35) 私のため、また私の僕ダビデのため/私はこの都を守り、これを救う。」

36) 主の使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した。人々が朝早く起きてみると、皆死体となっていた。

37) アッシリアの王センナケリブは、そこをたって退却し、ニネベにとどまった。

38) 彼が信じる神ニスロクの神殿で礼拝していたとき、息子のアドラメレクとサルエツェルが剣で彼を打ち殺した。二人はアララトの地に逃れ、別の子エサル・ハドンが彼に代わって王となった。

イザヤ書38章1節~8節

1) そのころ、ヒゼキヤは死の病にかかった。預言者、アモツの子イザヤが訪ねて来て、「主はこう言われる。『あなたは死ぬことになっていて、命はないのだから、家族に遺言をしなさい』」と言った。

2) ヒゼキヤは顔を壁に向けて、主にこう祈った。

3) 「ああ、主よ、わたしがまことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきたことを思い起こしてください。」こう言って、ヒゼキヤは涙を流して大いに泣いた。

4) 主の言葉がイザヤに臨んだ。

5) 「ヒゼキヤのもとに行って言いなさい。あなたの父祖ダビデの神、主はこう言われる。わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。見よ、わたしはあなたの寿命を十五年延ばし、

6) アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す。わたしはこの都を守り抜く。」

7) ここに主によって与えられるしるしがあります。それによって、主は約束なさったことを実現されることが分かります。

8) 「見よ、わたしは日時計の影、太陽によってアハズの日時計に落ちた影を、十度後戻りさせる。」太陽は陰の落ちた日時計の中で十度戻った。

9) 病気であったが、その病気が治って命を得たユダの王ヒゼキヤの記した歌、ミクタブ。

10) わたしは思った。人生の半ばにあって行かねばならないのか/陰府の門に残る齢をゆだねるのか、と。

11) わたしは思った。命ある者の地にいて主を見ることもなくなり/消えゆく者の国に住む者に加えられ/もう人を見ることもない、と。

12) わたしの生涯は羊飼いの天幕のよう��/引き抜かれ、取り去られてしまった。わたしはわたしの命を織物のように巻き終わり/糸から切り離されてしまった。昼も夜も/あなたはわたしの息の根を止めようとされる。

13) 夜明けまでわたしはそれを甘んじて受け/獅子に砕かれるように/わたしの骨はことごとく砕かれてしまう。昼も夜も/あなたはわたしの息の根を止めようとされる。

14) つばめや鶴のように/わたしはすすり泣きの声をあげ/鳩のようにわたしは呻く。天を仰いでわたしの目は弱り果てる。わが主よ、わたしは責めさいなまれています。どうかわたしの保証人となってください。

15) わたしは何と言えば答えてもらえるのか/そのようなことをなさる主に。わたしは心に苦痛を抱きながら/すべての年月をあえぎ行かねばならないのか。

16) 主が近くにいてくだされば、人々は生き続けます。わたしの霊も絶えず生かしてください。わたしを健やかにし、わたしを生かしてください。

17) 見よ、わたしの受けた苦痛は/平和のためにほかならない。あなたはわたしの魂に思いを寄せ/滅びの穴に陥らないようにしてくださった。あなたはわたしの罪をすべて/あなたの後ろに投げ捨ててくださった。

18) 陰府があなたに感謝することはなく/死があなたを賛美することはないので/墓に下る者は/あなたのまことを期待することができない。

19) 命ある者、命ある者のみが/今日の、わたしのようにあなたに感謝し/父は子にあなたのまことを知らせるのです。

20) 主よ、あなたはわたしを救ってくださった。わたしたちは命のあるかぎり主の神殿で/わたしの音楽を共に奏でるでしょう。

21) イザヤが、「干しいちじくを持って来るように」と言うので、人々がそれを患部につけると王は回復した。

22) ヒゼキヤは言った。「わたしが主の神殿に上れることを示すしるしは何でしょうか。」

日本聖書協会 新共同訳聖書より引用

『神の導きの中で』

2020年11月15日 ヨハネの黙示録2章~11章 津村悦子牧師

説教の中から

黙示録を連続で12章まで来ましたが、残念ながら、人間私たちはメッセージを聞いても10%程度の理解しか聞けないので、今朝は2章から11章まで振り返り、大切な所だけ聞くことにしました

黙示録は何を私たちに語っているかをもう一度聞いてみましょう

1. 七つの教会について

2. 書物の封印

3. ヨハネが見た天上の世界

4. 天使の賛美

5. ローマ皇帝のサタンとの闘い

6. 終末における勝利の主

その他

ヨハネの黙示録 1章1節~8節

1) イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。

2) ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。

3) この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである。

4) ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、また、玉座の前におられる七つの霊から、更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、

5) わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。

6) 見よ、その方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る、/ことに、彼を突き刺した者どもは。地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。

7) 神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」

8) わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。

日本聖書協会 新共同訳聖書より引用

『人生の荒野で』

2020年11月08日
使徒言行録9章19節~25節、ガラテヤの信徒への手紙1章11節~17節
津村一志牧師

説教の中から

パウロは回心してダマスコですぐに福音宣教の旅を開始したように思えるがガラテヤ人の手紙にはそうではなく、3年間アラビアに退いたことが記されている。

アラビアとはモーセがシナイ山で律法を授かった場所を含めた、荒野がどこまでも続くところである。何のためだろうか

おそらく1人になって神様と向き合い神様だけに依存する自己を確立させるためだったと思われる。神様に用いられる人は荒野のような所を通らさせられる。そこを通って整えられるからである。

私たちも必ず荒野を通ることがあるが、それは神様に用いられるためのプロセスである。

使徒言行録 9章19節~25節

サウロ、ダマスコで福音を告げ知らせる

サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、

20) すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。

21) これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか。」

22) しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。

23) かなりの日数がたって、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだが、

24) この陰謀はサウロの知るところとなった。しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた。

25) そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした。

ガラテヤの信徒への手紙1章11節~17節

11) 兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。

12) わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。

13) あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。

14) また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。

15) しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、

16) 御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、

17) また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。

日本聖書協会 新共同訳聖書より引用

『涙の祈りをする預言者』

2020年11月01日 列王記下20章1節~11節 津村友昭牧師

説教の中から

「死の教育」の中で人は死というものを受け入れ行くかが示されています。

  1. まず最初は「否認」する。まさか自分が死の病にかかるなんて。
  2. 次に怒りが出てきます。なんであの人でなく自分が。
  3. 「取引」が起こります。ちゃんと薬を飲みますから治してください。そしてうつ病になった状態で「死」受容するそうです。そして、最後の希望を持たせて死を迎える必要があると。

この死の宣告を受けたヒゼキヤは神と取引をしています。涙の祈りです。それはアッスリヤからエルサレムを救い出すという使命です。神は15年生きることを約束されました。

列王記下20章1節~11節

1) そのころ、ヒゼキヤは死の病にかかった。預言者、アモツの子イザヤが訪ねて来て、「主はこう言われる。『あなたは死ぬことになっていて、命はないのだから、家族に遺言をしなさい』」と言った。

2) ヒゼキヤは顔を壁に向けて、主にこう祈った。

3) 「ああ、主よ、わたしがまことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきたことを思い起こしてください。」こう言って、ヒゼキヤは涙を流して大いに泣いた。

4) イザヤが中庭を出ないうちに、主の言葉が彼に臨んだ。

5) 「わが民の君主ヒゼキヤのもとに戻って言いなさい。『あなたの父祖ダビデの神、主はこう言われる。わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやし、三日目にあなたは主の神殿に上れるだろう。

6) わたしはあなたの寿命を十五年延ばし、アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す。わたしはわたし自身のために、わが僕ダビデのために、この都を守り抜く。』」

7) イザヤが、「干しいちじくを取って来るように」と言うので、人々がそれを取って来て患部に当てると、ヒゼキヤは回復した。

8) ヒゼキヤはイザヤに言った。「主がわたしをいやされ、わたしが三日目に主の神殿に上れることを示すしるしは何でしょうか。」

9) イザヤは答えた。「ここに主によって与えられるしるしがあります。それによって主は約束なさったことを実現されることが分かります。影が十度進むか、十度戻るかです。」

10) ヒゼキヤは答えた。「影が十度伸びるのは容易なことです。むしろ影を十度後戻りさせてください。」

11) そこで預言者イザヤが主に祈ると、主は日時計の影、アハズの日時計に落ちた影を十度後戻りさせられた。

日本聖書協会 新共同訳聖書より引用

『わたしにつながっていなさい』

2020年10月25日 ヨハネによる福音書15章1節~11節 津村友昭牧師

説教の中から

10月31日は宗教改革記念日です。ルターがプロテスタントとして出発した日です。それは挑戦する、チャレンジすることを意味します。

初めの人間は神につながっていました。それは神のみ言葉を信頼してとどまっていたともいえます。しかし、人間が罪を犯すことによって神とつながることが出来なくなってしまいました。「とどまるはメノー」というギリシャ語です。新約聖書に120回、ヨハネによる福音書には41回用いられています。イエスには「神の愛が彼の上にとどまるのを見た(ヨハネ1:32)」と書かれています。人間はイエスキリストの十字架の安河内によってふたたび神とつながれたのです。

ヨハネによる福音書15章1節~11節

1) 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。

2) わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。

3) わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。

4) わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。

5) わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを 離れては、あなたがたは何もできないからである。

6) わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。

7) あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。

8) あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。

9) 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。

10) わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。

11) これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。

日本聖書協会 新共同訳聖書より引用

『光と闇の戦い』

2020年10月18日 ヨハネの黙示録12章 津村悦子牧師

説教の中から

ヨハネ黙示録が正典として全教会から承認されたのは4世紀の終り頃です。この謎めいた文書には様々な議論が交わされましたが、終末が近い将来と考えたときに神の支配の到来を語ります。現代も同じような危機的状況の中に、私たちはどのような生き方が良いか、この黙示録はひとつの回答を用意しているといえます。

ヨハネの黙示録12章

1) また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。

2) 女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。

3) また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。

4) 竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。

5) 女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。

6) 女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。

7) さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、

8) 勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。

9) この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。

10) わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟たちを告発する者、/昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、/投げ落とされたからである。

11) 兄弟たちは、小羊の血と/自分たちの証しの言葉とで、/彼に打ち勝った。彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。

12) このゆえに、もろもろの天と、/その中に住む者たちよ、喜べ。地と海とは不幸である。悪魔は怒りに燃えて、/お前たちのところへ降って行った。残された時が少ないのを知ったからである。」

13) 竜は、自分が地上へ投げ落とされたと分かると、男の子を産んだ女の後を追った。

14) しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒れ野にある自分の場所へ飛んで行くためである。女はここで、蛇から逃れて、一年、その後二年、またその後半年の間、養われることになっていた。

15) 蛇は、口から川のように水を女の後ろに吐き出して、女を押し流そうとした。

16) しかし、大地は女を助け、口を開けて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。

17) 竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った。

18) そして、竜は海辺の砂の上に立った。

日本聖書協会 新共同訳聖書より引用

『目からウロコ』

2020年10月11日 使徒言行録9章1節~19節 津村一志牧師

説教の中から

「目からうろこが落ちる」という言葉は使徒パウロの宗教体験が由来になっています。サウロがキリスト者を迫害するためにダマスコに向かう途中、復活の主に出会い目が見えなくなります。その後アナニアという弟子に出会い、頭に手を置いて祈ってもらったとき、今まで見えなかったものが見えるようになったのです。

「うろこ」とは神の愛を隔てる壁のことを示しているのではないでしょうか。しかし、その「うろこ」はアナニアにもあったのです。サウロが迫害者だったからです。私たちも自分の中にどのような「うろこ」があるのか、主なる神様の愛を通して取り除かれていきたいものです。

『向き合い、成長すること』

2020年10月04日 エフェソの信徒への手紙4章15節 坂口聖子牧師

『人は渇いている』

2020年09月27日 詩編42章1節 津村友昭牧師

『あなたは神の証人です』

2020年09月20日 ヨハネの黙示録11章 津村悦子牧師

『主なる神への価値と従順』

2020年09月13日
創世記22章1節~5節、マルコによる福音書8章31節~38節
津村一志牧師

『自分を無にする祈り』

2020年09月06日
ダニエル書6章11節~18節、創世記18章22節~33節
津村友昭牧師

『信仰の導き手』

2020年08月30日 詩編110章1節~7節 津村友昭牧師

『信仰によって将来を見る』

2020年08月23日 ヨハネの黙示録10章 津村悦子牧師
※機材トラブルにより冒頭30分(礼拝前賛美)程
映像・音声が乱れております。ご了承ください。

『癒しと解放』

2020年08月16日 使徒言行録3章1節~10節 津村一志牧師

『主に従うとは』

2020年08月9日 マルコによる福音書10章17節~31節 津村友昭牧師

『警告と赦しの神』

2020年08月02日 ヨハネの黙示録9章1節~20節 津村悦子牧師

『心の目を開いて下さるイエス』

2020年07月26日 マルコによる福音書8章22節~26節 津村友昭牧師

『とりなしの祈り』

2020年07月19日 ヨハネの黙示録8章1説~13節 津村悦子牧師

『一つにされて』

2020年07月12日 使徒言行録2章43節~47節 津村一志牧師

『一つとなるために』

2020年07月05日 エゼキエル書37章15節~28節 津村友昭牧師

『新しい息吹』

2020年06月28日 エゼキエル書37章1節~14節 津村友昭牧師

『聞く耳のあるものは聞くが良い』

2020年06月21日 ヨハネの黙示録3章19節~22節、4章8説~11節
津村悦子牧師

『ペトロの説教』

2020年06月14日 使徒言行録2章14節~24節 津村一志牧師

『戸の外でノックする主イエス』

2020年06月07日 ヨハネの黙示録3:1~8 津村悦子牧師

『天から力を受ける』

2020年05月31日 ペンテコステ礼拝 使徒言行録1:1~12 津村一志牧師

『信仰の深みへ』

2020年05月24日 ルカによる福音書5:1~11 津村友昭牧師

『神の導きの中に生きる私達』

2020年05月17日 ヨハネの黙示録7:1~4、7:13~17 津村悦子牧師

『信じる者は幸い』

2020年05月10日 ヨハネによる福音書2章24節~29節 津村一志牧師

『病の人に触れたイエスの手』

2020年05月03日 マルコによる福音書1章40節~45節 津村友昭牧師