日本キリスト教団 新松戸教会

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『落胆に打ち勝つ信仰』 コリントの信徒への手紙II 4章7~18節

牧師 津村一志

生きていれば必ずこんなににぶち当たる。落胆や困難のない人生はあり得ない。
 であるならば、それに対して賢く対処していかなければならない。

イエスの弟子の中で、最も困難を経験したのはやはりパウロであろう。ステファノを殺害したり、遠くにあるダマスコに出かけ弟子たちを迫害しエルサレムに連行しようとしていた。そのパウロが回心したのであるが、ユダヤ人からは裏切り者扱いされ、キリスト教徒からは信頼できないと思われていた。そんなパウロに神は異邦人伝道の場を与えられた。いや、そこしかなかったのだろう。しかし、それは想像を絶する場でもあった。パウロを反対者とみるキリスト者も多くおり、なかなか受け入れらえないという苦難を通ってきた。(Ⅱコリ1:8)大変苦難な状況にあり、パウロは生きる望みすらないというショックを受けていた。

死ぬかもしれないという危機を通ってきた人はいるだろうか。精神的・肉体的・経済・人間関係等々、ときにそれらは生きていくのが困難だと思ってしまうほどである。(Ⅱコリ1:8)私たちは土の器であり、大変もろく壊れやすい存在である。しかし、その中に並外れた偉大な神様の力(宝)が収められているというのである【偉大な力=dhuminasu=ダイナマイトの語源】。だからこのようにパウロは宣言するのだ。私たちは一見弱そうに、何の力もなさそうに見える。多くの行き詰まりや虐げや厳しい状況の中に立たされるということがある。しかしそのような状況に立たされたとしても、私たちのうちに収められた宝があるならば、かならず立ち上がることができる、と。パウロはⅡコリ1:9で死の宣告を受けた思いになったと言っているが、9節の後半から「死者を復活させられた神を頼りにし、神に希望をかけている」と語っている。大変な死の危険を乗り越えることができ、自分を頼るのではなく死者を復活させた神を信じることで乗り越えることができた、神が乗り越えさせてくださったと、宣言している。人は希望があればあらゆる困難から立ち上がることができる。回復できないのは、その希望を見いだせていないからだ。パウロは主からくる希望に目を向けていったとき、生きる希望が回復し、乗り越えることができたのだ。主の偉大な力は、本当の意味で主の慰めと力がどれほど偉大で、私たちを立たせ、強めてくれるのか。その圧倒的な恵みの前でパウロは主に感謝した。死者の中から復活させて下さる神とは、いったいどのような神なのだろうか。

日々の生活の中において、親しく望んでくださり、どんな小さなことにも目を向け覚えていてくださる神。そのような神様が私たちの内に内住してくださるというのなら、これほど心強いことはない。主の復活は生死を超えた永遠の命を表している。この世でどんなに多くの苦難困難、たとえ死の恐怖にさらされるとしても、パウロが述べたように(Ⅱコリ4:10~)危機があればあるほど、イエスの命が表れてくるのだ。私たちはもっともっと冒険してもよいのではないだろうか。困難に立ち向かってもよいのではないだろうか。キリストの命が現れるために。パウロの伝道の生涯は、困難の連続だった。が、誰よりも主を証することができたのだ。彼には負い目があった。主の弟子でありながらその過去は主を迫害したものであった。とてつもない過去を、責められても仕方のないような負い目を追っていた人間である。しかしそれがまた、大きな主の許しと慰めを経験し、主を証するものとなったのである。困難であればあるほど、恥ずかしい人生であればあるほど、変わった時の人生は大きいものなのだ。Ⅱコリ4:16~内なる人が私たちの中で立ち上がってくる、そうなれば、けっして軽い艱難ではなくても軽いと言わせてしまうほどの大きな栄光に包まれるのである。

いままでの艱難を忘れさせてしまうほどの大きな恵みがあるとき、パラダイムを大きく変えてしまうとき、信仰がどれほど大きなものであるか。信仰は過去・現在・未来を超えさせる、生と死を超えさせる、目に見えない霊的な世界と通じていく時間と空間を超えたものである。そのような力を隠し持っている。パウロはあらゆる困難・危機の中で、そのような信仰を通して偉大な神の世界を、力を見ていた。そして、どんな困難・艱難・落胆がやってきてもそれらは一時のものでしかなく、主にある平安・希望・愛は何をもってしても奪うことができないと、その恵みと感謝と希望とを見ていたのである。

解放と自由こそが私たちクリスチャンに与えられている。それが真実だ。そのようなことを一つひとつ、神様との交わりを通して宣言していくのだ。もっと素晴らしい、解放された世界を味わっていこう。今は行き詰まりの時代、罪の時代、圧迫の時代。しかし目に見えない神様の力を世に表そうではないか。そのためには見えなくさせる力、自我などを取り除き、神様の力で歩んでいきたい。

参照聖書箇所

※1 エフェソの信徒への手紙 1章17節~19節

『どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。』